塾長  推薦図書 






このコーナーで紹介する書籍は主に科学に関するものが多いですが、それらはいわゆる専門書ではないので、小学校高学年から高校生・大学生の皆さんにも、楽しく、興味深く読んでいただけるのではないかと思います。また、これをきっかけに科学に興味を持ったり、ご自身のこれからの進路や生き方を考える時に少しでも参考になればと思っています。





 Vol.1


化学のドレミファ @〜F 米山正信 著 (黎明書房) 各1800円(外税)





私が中学生の時に初めて読んだ「化学」という題名のついた本です。書店で買ったわけでなく中学校の理科の先生から貸していただきました。当時は前編・後編の2冊でした。(現在は7冊あります)

普通の化学の本と異なっているのは、楽しい物語形式になっているということです。主な登場人物は、中学生のひとし君、おねえさんの高校生のり子さん、そしてドルトン先生です。2巻では、夏休みにおじさんの家に行きますが、そこではおじさん・おばさんの他に大学生のいとこの正樹さん、同い年のいとこの康子さんが登場して、スイカを食べながら、またはブドウパンやキントンに例えて原子の構造について会話が弾みます。

中学生の皆さんとって少し難しい話しも出てきますが、おもしろいイラストやわかりやすい表が随所に出てきますので、ゆっくり読んでいけば理解できると思います。理科は好きなのだが化学という教科が好きになれない理由として、暗記することがたくさんある、計算が面倒くさい、分子式や化学反応式が理解できないなどいくつかあると思いますが、そのような方にとっては漫画を読むような感覚で入り込んでいけると思います。

このドレミファシリーズの根底に流れる考えが、「ドルトン先生の書き残した手紙」と筆者米山先生の「あとがき」から分かりますのでご紹介しておきます。


科学は、まだ本格的に生まれてから数百年にしかならない学問です。科学によって説明できないことはみんなみんな迷信だ、とわりきることこそ、本当は科学に対する迷信なのです。

科学はまだこれからどんどん発展する学問です。そうでなかったらあなた方はがっかりでしょう。昔の学者が見つけたことを教科書にして、それを覚えるだけが科学の勉強なら、これほどつまらない勉強はありません。

科学は生きている学問です。あなた方の目の前におこるすべての現象に、はてな?と疑問と探求の心を向けてごらんなさい。そこに本当におもしろい学問としての科学があるのです。これは、科学者だけにいうことではありません。あなた方が、科学者にならなくても、どんな職業を持ち、どんな生活をしたとしても、あてはまることです。たえず、心がいきいきと、目も輝いている生活の秘密なのです。

はてな?よし、私が知ってやろう。それです。さて、のり子さん、ひとし君。最後にもう一つ。
科学は、人間のためにあるということを、忘れてはいけない、ということ。

人間が、地球の上にいなくなってしまったら、もう科学もありません。人間が地球上に生きていなくなったら、今度は放射線をエネルギー源とする別な生物が地球を支配し、その生物の科学が生まれるだろう、なんて、頭の中で考えるのは結構です。

しかし、のり子さん、ひとし君。どうかあなた方は、人間をいつまでも生き続けさせるために、いろいろと勉強してください。230年前のあなた方の先輩は、このことを強くお願いして、消え去ることに致しましょう。では、のり子さん、ひとし君。さようなら。



 「科学」という学問は、出来上がってしまっているのではありません。目の前の現象に立ち向かっていく、態度や方法なのだ、と言えるかもしれません。まして、教科書にある知識を、受験のために覚えるのが、科学の勉強ではありません。今は、はっきり説明できないことも、ハテナ?ナゼ?と考えてみることも大切な勉強です。

あなたは今、この本と偶然に出会ったのかもしれません。しかしもしかしたら、この偶然があなたの将来にとって、なんらかの必然となることもあるかもしれないのです。

どうかあなたの明るい未来につながりますように、と期待します。好奇心と夢を持って化学の勉強を進めて下さい。




   シリーズ 副題名
@ 反応式がわかるまで    A イオンのことがわかるまで
B 熱の正体がわかるまで   C 化学反応はどうしておこるか
D 有機化学がわかるまで   E 水の汚染と食物連鎖の話し
F 水ーこのふしぎなもの
















 Vol.2


教科書ではわからない遺伝子のおもしろい話  林崎 良英 著

                          実業之日本社 762円(外税)



 


皆さんは、DNAとか遺伝子という言葉をご存じだと思いますが、それらはどういう部分を意味し、私たちの体の中でどんな働きをしているのかを熟知されている方はそれほど多くはいらっしゃらないかと思います。

DNA・RNAに関する書物は数多く出ていますが、私が知る限りでは最も理解しやすいのがこの本だと思います。身近な例を取り上げながらわかりやすい図と説明で「ああ、なるほどそうなってるんだ!」という感じです。また読む人の立場になって書かれているのも読みやすい理由のひとつかもしれません。

私がこの本を読んで最も驚いたのは「RNAの知られざる数多くの働き」です。私自身、高校(翠嵐)の生物部で初めて行った実験が「原始タンパク質の合成」だったので、タンパク質ができる基本的な仕組みは知っていましたが、最近の研究報告によると実は細胞内でタンパク質合成を仕切っているのはRNAだったのです。

それまではDNAが細胞内の命令系統の頂点にあると考えられていましたが、DNAは単に情報の保存場所に過ぎず、そこから情報を引き出して細胞をすべてコントロールしているのはRNAで、RNAの介在によって生物が複雑な機能を持つことを可能にしているのです。

著者の林崎先生は理研のオミックス基盤研究領域長をされており、日本のRNAの研究では数多くの業績を残されています。これからの研究の成果が待たれるところです。


                   
                      前書きから


本書では、これから皆さんを細胞という工場を見学するツアーにご案内し、設計図の役割や作業員たちの仕事、そして新たにわかった監督たちのはたらきぶりを紹介していきます。

生命現象が今、どうとらえられているのか。わたしたち人間をふくめた地球上のすべての生物が、どのような仕組みで生まれ、生命を維持しているのか。遺伝とはその根本の仕組みです。

これまで生物学に関する書物を手にとったことのない読者にも理解していただくことが本書の趣旨で、最新の研究成果もふくめて出来るだけわかりやすくお話ししていくつもりです。

みなさんの生命現象に対する知見が、本書によって広まることがあれば幸いです。

                        
                        理研:横浜研究所にて





 遺伝子とDNAの理解を深めるために


遺伝子とDNAがよーくわかる本   夏 緑 著 
 
秀和システム 1200円(外税)


 


遺伝子やDNAの役割、医療・食品・健康・スポーツ面での利用例、遺伝子組み換え食品の安全性や問題点、ES細胞やiPS細胞による再生医療の未来などを解説しています。














 Vol.3



生命とは?物質か! 


和田 昭允 著
  


 東京大学名誉教授   (独)理化学研究所 研究顧問

  横浜サイエンスフロンティア高校 スーパーアドバイザー



オーム社  1800円(外税)







「生命とは一体何なのか?」という問いかけに対して、生物を物質の一部と見るか、または科学論では語ることの出来ないものとして見るかという二つの見方があります。


和田先生は、東京大学在学時より生物・生命の研究に物理学的手法を導入し、生物学と物理学が融合した、
生物物理学という新しい学問分野を切り開かれてきました。 


この書の一部では、量子力学の創始者の一人であるシュレーディンガーが
「生命とは何か?」という書物の中で、”生命は物質の特別な状態だ”と明確に言い切っていると紹介しています。物質と違うところは、物質の構成分子は同じ構造を繰り返す単純な周期性の秩序体だが、生物の複雑な有機分子はそれぞれが個性のある役割を演じ、同じ働きをすることなく大きく広がった凝集体を作り上げていくことが出来るということです。彼はこれを無周期性の秩序」と名付けました。


さらに和田先生はこう付け加えています。「ここで無周期性秩序イコール無秩序と早合点すると大きくまちがう。無周期性秩序構造は
”ある特定の秩序をもった”構造です。”ある特定の” が、”繰り返しの”になると「周期性秩序構造」になり、”特定”の替わりに”どんなでもよい”とすると「無秩序構造」になるわけです。”秩序ある社会”は周期性のある社会ではなく、”あるルール”にしたがう整然とした社会を意味します。”秩序ある行動”といえば、同じ行動を繰り返すことではなく、”ある意図”をもった行動です。ここでいう秩序とは意味、意図、目的と理解して下さい。」


「繰り返しを持たない文字配列でも、特定の意味をもつ配列ー文章ーは無周期性秩序構造です。DNAは
アデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)の4種の塩基(原子団)を文字にして書かれている。つまり遺伝情報を伝える文章は、四種類の文字が並んだ無周期性秩序構造をもっています。その意味は、<生命活動が可能でつぎの子孫を作れること> で、いうまでもなく生命が生命であるための、そして、いま生物が存在する必要条件です。」


DNAに関していえば、和田先生はDNAの自動解読に世界で初めて取り組まれ、現在、激しい国際競争となっている
「ヒトゲノム解析」を世界に先駆けてスタートさせた科学者です。

その時のご苦労は第5章の「設計書を開く」 ー 生命戦略の解明に向けて ーの中で、1981年、和田先生を推進委員長とする
「DNAの抽出、解析、合成」プロジェクトが発足したこと、1998年に理研ゲノムセンターが設立された発端と経緯の中で詳しく述べられています。




また、第2部は、科学者の発想ー己を知る という副題で、6章から9章までの構成になっています。

第6章  探求→理解・納得 ー知のらせん階段ー

第7章  アイデアの湧出と紆余曲折 ー議論から理解へー

第8章  岐路と判断 ー科学者であることの醍醐味ー

第9章  元気を出そうー日本人は科学者・技術者になる資質をもっている




横浜サイエンスフロンティア高校のスーパーアドバイザーとして、今まで説明会等でお話しされたことがすべてこの中に凝縮されています。現在、サイエンスフロンティアに通っている生徒さん、これから入学を目指そうと努力されている中学生の皆さんには是非一読をお勧めします。

また、科学者を目指す、目指さないに関わらず、そして理系・文系に関係なく、この本の中にはこれからの皆さんの人生を考えるときの智慧がたくさん詰まっていて、勇気と自信も与えてくれます。

長期休暇や勉強の合間に、ちょっと読まれてみてはいかがでしょうか。





















 Vol.4


                    文系にも読める!

  
宇宙と量子論  竹内 薫  著  PHP研究所  1300円(外税)


カオル少年と 物理の塔  竹内 薫 著・たまだまさお(漫画) PHP研究所 500円(内税)
ねこ耳少女の 
量子論   竹内 薫 著・松野時緒  (漫画) PHP研究所 500円(内税)



              






これまで宇宙に関する書物は数多く手にしてきましたが、宇宙に関する情報は刻々と変化しています。そこで出来るだけ新しくて、しかも図が豊富で理解しやすいという二つの点から、新刊(2010年5月) 「宇宙と量子論」を紹介致します。

筆者の竹内 薫 氏は東大理学部物理学科、マギル大学大学院修了の理学博士ですが、科学作家でもあり、科学の普及のために科学書の執筆、マスメディアへの出演、新聞・雑誌の執筆・講演会など多方面で活躍されています。


この「宇宙と量子論」では、137億光年先の遙か宇宙から、一番小さな拡がりをもつ素粒子の世界までをわかりやすく解説しています。それぞれ見開き左側に文章、右側全面でイラストや図を使っての説明がなされています。

第1章  宇宙の探索

第2章  量子論

第3章  星の進化

第4章  最新の観測による宇宙像

第5章  素粒子標準模型

第6章  宇宙の歴史

第7章  量子宇宙論

第8章  統一理論

第9章  宇宙のこれから 



この書では、宇宙論と量子論の二つの領域を行き来しながら、実は両者が密接なつながりがあることを教えてくれます。宇宙は皆さんがご存じの
「ビッグバン」によって始まったと言われていますが、宇宙が始まった直後は素粒子ほどの大きさであったと考えられています。
宇宙に関しては、現代宇宙論でもわからない部分が多いですが、この壮大でロマン溢れる世界を旅してみるのもおもしろいかもしれません。




※ 「物理の塔」は、物理学のいろいろな法則や理論を漫画にしたものですが、中学生の皆さんにとっては、少し難しいかもしれません。

※ 漫画ですが、「量子論」はさらに難解になります。それは量子の振る舞いが日常生活とはかけ離れていて、さらに常識では理解しがたい現象が多いからです。マジックを見ているような不思議な世界の話です。






  素粒子って何?


中学生の皆さんは、原子については学習されたと思います。でも中心に原子核があって、その中に+の電荷をもつ陽子電荷をもたない中性子があり、その周りに−の電荷をもった電子があるというぐらいで終わってしまいます。そこで、もう少し知りたいという方のために、原子の中をのぞいてみることにしましょう。


すべての原子は、
電子陽子中性子からつくられていますが、私たちの体も山も海も、太陽や月やその他の星も基本的には電子、陽子、中性子というわずか3つの粒の組み合わせで構成されているのです。

さらにその陽子や中性子をつくっている粒子があります。それが
素粒子です。素粒子とは、もうそれ以上こまかく分割することができない自然界の最小単位のことを意味します。電子は、素粒子だと考えられています。

陽子や中性子は、
”クォーク”という素粒子でできていることがわかっています。それぞれ3つのクォークでできており、陽子(左)はアップクォーク2個ダウンクォーク1個、中性子(右)はアップクォーク1個ダウンクォーク2個でできています。


                   
            陽子       中性子






                  クォークの仲間

  第1世代  第2世代  第3世代 
名前   アップ   チャーム   トップ 
 重さ(電子1)  4〜16  2000〜3100  340000
 電荷  +3分の2  +3分の2  +3分の2
       
 名前  ダウン   ストレンジ   ボトム 
 重さ(電子1)  10〜29  200〜590   8000〜8800
 電荷  −3分の1  −3分の1  −3分の1


※ 縦に並んだ二つの素粒子のペアは「世代」とよばれています。 横に並んだ素粒子は電荷などの性質がよく似ており、右にいくほど重くなります。





               電子の仲間(レプトンといいます)

  第1世代   第2世代   第3世代 
名前    電子ニュートリノ   ミューニュートリノ   タウニュートリノ 
重さ(電子1)  不明  不明  不明
  電荷  電荷なし  電荷なし  電荷なし
       
 名前   電子    ミューオン   タウ 
 重さ(電子1)  1  210  3500
  電荷  −1   −1   −1

※ ニュートリノは太陽の核融合反応によって発生していますが、物質にほとんど作用せず、地球にぶつかってもすり抜けてしまいます また、気づかないうちに、私たちの体を毎秒数十兆個ものニュートリノが貫通しています。ニュートリノに質量があることがわかったのは1998年ですが、実際の詳しい値は、わかっていません。


上の表の
クォークレプトンを合わせた12種類の物質粒子のことをフェルミオンと言います。



 補足

電子、アップクォーク、ダウンクォークの三つ以外は、身の回りの物質をつくっている素粒子ではありませんが、CERN(スイス・フランス)やKEK(日本)の加速器でつくることができます。

例えば加速した陽子どうしを衝突させると、この三つ以外の素粒子を含むさまざまな粒子が発生します。ただし加速器では単独のクォークを発生させることはできず、3つ集まった複合粒子(陽子や中性子など)や、2つ集まった複合粒子(中間子)の形をとります。

3つのクォークからなる粒子を
バリオン、2つのクォークからなる粒子をメソンと呼びます。湯川秀樹博士が提唱した核力の中間子論で予言されたπ(パイ)中間子はメソンの仲間です。その他のメソンとしてはK中間子、B中間子などがあります。




                        

                  

        



またこれらの粒子のほとんどは寿命が短く、すぐに崩壊して別の粒子に変わってしまいます。

自然界では、これらの素粒子は
2次宇宙線に含まれています。地球に常に降り注いでいる陽子などの粒子を1次宇宙線といい、それが地球の大気分子と衝突するとさまざまな粒子が発生します。これが2次宇宙線です。


















 Vol.5



                   天体

  
  巨大望遠鏡と探査機が探る宇宙の姿   渡部 潤一 監修 

             日東書院  1500円(外税)








この本は、国立天文台の渡辺 潤一天文情報センター長が監修されていて、イラストの詳しい図解と豊富な天体写真が載せてあるのが特徴です。これを読めば、太陽系の惑星から遙か遠い銀河までのことがよくわかります。参考書代わりにもなると思います。


PART 1 天体から見える宇宙

PART 2 宇宙を見る挑戦「天体観測」

PART 3 肉眼でも見える「太陽系」

PART 4 宇宙を照らす「恒星」

PART 5 ここまで見えた「銀河系」



 宇宙の不思議

夜空を彩る恒星や銀河などは無数にありますが、それでも現在観測できる天体・物質は、宇宙を構成する全質量のわずか
4%にすぎません。宇宙全体の物質エネルギーのほとんどを占めているのは観測出来ない物質(ダークマター暗黒物質)と、正体のわからないエネルギー(ダークエネルギー暗黒エネルギー)なのです。

宇宙全体に占める比率はダークマターが
23%、ダークエネルギーが73%です。(図1) 暗黒物質は、自力では光らず、強大な質量を持つ未知の物質ですが、宇宙の成り立ちにも密接に関わっていると言われています。


                      



ダークマター候補で最も有力なのが、力を伝える粒子(
ボース粒子)の相手の「超対称性粒子」で、これらはクォークや電子に比べてスピン(自転のいきおい)が2分の1だけ異なり、またクォークや電子とそれぞれペアになり、電荷をもたない素粒子です。

※ クォークや電子の仲間(レプトン)の超対称性粒子は接頭語として「スカラー」という言葉がついています。例:スカラーアップクォーク。これらは全てスピンは0です。


これらの素粒子は理論的に存在すると予言されているもので、その中でダークマターの有力候補と考えられているのが
「ニュートラリーノ」と呼ばれている3つの超対称性粒子です。


ニュートラリーノとは、力を伝える粒子(ボース粒子)の相手で、スピンが2分の1である フォティーノ(光子・フォトンのパートナー)、ジーノ(ウィークボソン・Z粒子のパートナー)、ヒグシーノ(ヒッグス粒子のパートナー)のことを指します。

その他に、ダークマターの候補としてあげられている未発見の素粒子には、
”アクシオン” ”ステライル・ニュートリノ” ”カルツァ・クライン粒子”(KK粒子)などがあります。




 
アクシオン

量子力学論の中で、存在が期待されている素粒子で、強い磁場の中では光に変わると予測されています。

 
ステライル・ニュートリノ

重力と相互作用するニュートリノです。未発見ですが、重さが十分にあればダークマターの候補と考えられています。


 
カルツァ・クライン粒子”(KK粒子)

私たちの住んでいる4次元(3次元+時間)以上の、余剰次元(5次元など)を伴う素粒子です。リサ・ランドール博士(多次元論者)の
「ワープする宇宙」の世界です。素粒子衝突実験などで、直接は検出できなくても、目に見えないKK粒子がエネルギーを持ち去って余剰次元に出て行けば、KK粒子の生成を推定できるのではないかと言われています。






  ダークマター(暗黒物質)についてもう少し

ダークマターの宇宙における総量は、原子でできている普通の物質の約5倍の重さにのぼるといわれていますが、では、なぜ見えないのにその存在がわかっているのでしょうか?

それは、天体の運動を観測することでわかったのです。
銀河団というのは多数の銀河が集まった集合体ですが、銀河団内の個々の銀河は、かなり速い速度で運動しています。そして銀河団内の全ての銀河と銀河間にただよう星間ガスがつくりだす重力を計算してみると、猛スピードで運動している個々の銀河をつなぎとめることは不可能であるということがわかりました。



                           

       
                                     

                                           
   
                    

                    
(暗黒物質)
                                         

           
                                    

                       




何かがなければ、銀河団が集合体としてまとまっていることができないのです。このため、現在の宇宙天文学では、銀河団の中には、
見えないけれども周囲に重力を及ぼすことのできるダークマターが、見える物質の何倍も存在していると考えています。

また、ダークマターの存在は、私たちの
銀河系でもその存在が確実視されています。銀河の中心から約3億光年離れている太陽は、地球など他の惑星を引き連れて、秒速30キロメートルの高速で、銀河の中心の周りを約2億年かけて1周しています。

しかしこの速度は、天の川銀河(銀河系)の目に見える物質の重力だけではつなぎとめておくことができません。ダークマターの重力がなければ、太陽系は天の川銀河から、
飛び出してしまうと考えられています。


そして、このダークマターは太陽系内や私たちの身の回りにもあるはずです(1リットルに1個あるといわれています)。ただ
ニュートリノのように普通の物質をすり抜けてしまうので、まだ確認することはできません・・

また、ダークマターは、現在の素粒子物理学の
標準モデルに登場する素粒子たち、もしくはそれらで形つくられた物質ではないようなのです。

つまり原子からなる物質でもなければ、ニュートリノ(以前ダークマターの候補に挙げられていましたがあまりにも軽すぎるという点で除外されています)でもありません。そのため、ダークマターの解明は標準モデルを超える理論の構築が必要であると考えられています。






  ダークエネルギーについて

ここ数年で、ダークマターよりもさらに不思議なものが宇宙空間を満たしていると考えらるようになってきました。それがダークエネルギーです。

1998年、遠方の天体を数多く観測することによって、宇宙空間の
膨張速度が加速していることが明らかになりました。

天文学では、宇宙空間は星や銀河の重力によって空間の膨張速度は減速していくと考えらていましたが、この観測結果は常識を覆すものであったのです。

この観測結果を説明するために考えられたのがダークエネルギーです。ダークエネルギーは宇宙空間を満たしていると考えられ、宇宙空間の膨張を後押しする「反重力」のような作用をするとされています。



                           
膨張力(ダークエネルギー)

                     

                 
重力



しかし、現代の物理学においてはその作用のメカニズムは不明で、ほとんど解明できていません。そして
、E=mcの式に基づいて宇宙の物質の重さ(m)とエネルギー(E)を計算すると、ダークエネルギーは宇宙全体の73%にも達するそうです。正体不明のダークエネルギーの23%と合わせると合計で96%にもなります。

私たちは、太陽系の惑星のことも十分にはわかっていませんが、見えている恒星や銀河だけでも全体の
4%に過ぎず、実際には宇宙の成分のほとんどをまだ知らないのです。

                      





  真空は本当に何もないのでしょうか?


素粒子物理学の「標準理論」によると、素粒子は本来質量がゼロのはずだといっていますが、実際には素粒子の大半は質量をもっています。

そこで考え出されたのが、
”ヒッグス粒子”です。1964年、ピーター・ヒッグスたちは、粒子がどのようにして質量を持つのかを説明する理論をつくりました。ヒッグス粒子とは、素粒子の質量を生み出している素粒子」のことです。

粒子が一切存在しない真空であっても、真空はヒッグス粒子で埋め尽くされた状態にあると考えられています。質量をもつ素粒子は、ヒッグス粒子に邪魔されながら進みます。質量が大きいほど、ヒッグス粒子と多くぶつかります。

この
進みにくさ「質量」として私たちが観測しているものだということなのです。しかし光の素粒子である「光子」は、ヒッグス粒子とぶつからず、自然界の最高速度(秒速30万キロメートル)で進むことができます。


ヒッグス粒子の存在はまだ確かめられていませんが、私が2010年の夏に茨城県つくば市にある
KEK(高エネルギー加速器研究機構)で開催されたグローバルフォトウォークに参加した際、研究員の方にヒッグス粒子の存在を聞いたところ、「将来、ヒッグス粒子を確認できる可能性はあると思います」というお返事でした。



         
参考サイト

KEK 高エネルギー加速器研究機構
KEK--Hiroaki Nakayama Flickr - Photo Sharing!


CERN(欧州合同原子核研究機関)に建設されたLHC(large Hadron Collider 大型ハドロン衝突型加速器 スイスにある1周27KMの円形加速器)での実験の最大目的はこのヒッグス粒子の発見だそうで、予言通りにヒッグス粒子が現れるかどうか、世界中の物理学者が注目しているということです。



                    
                    
                       
      
素粒子    
                    
                    

                    ヒッグス粒子




  ヒッグス粒子 最新情報




           「ヒッグス粒子」発見に自信

               欧州合同原子核研究機関



宇宙が誕生したビッグバン直後の状態を再現する世界最高の粒子加速器LHCを運営する欧州合同
原子核研究機関(CERN)は2011年7月25日、昨年3月の本格稼働以降、初めての記者会見をフランスで開いた。

AFP通信などによれば、所期の目標である
「ヒッグス粒子」発見の手がかりが得られたという。ヒッグス粒子の質量は114〜182ギガ電子ボルト(GeV)と予測されているが、LHCの実験では140〜145(GeV)で99.9%に近い確率で、反応が確認できたという。

これが
99.9999%まで高められると「発見」とみなされ、CERNのホイヤー所長は「2012年末までには決着する」と述べた。

LHCのライバルとされる米フェルミ国立加速器研究所の加速器テバトロンでの実験でも、140GeV付近で、ヒッグス粒子のヒントが得られたという。ただ、これ以外の質量での存在は否定されていない。

ヒッグス粒子は、質量の起源を説明する。存在が確認されれば、ノーベル賞級の発見と目されている

                       
  2011年7月28日(木)  朝日新聞 科学欄より









 ヒッグス粒子「存在の兆候つかむ」 欧州研究機関が発表


欧州合同原子核研究機関(CERN)は13日、万物の質量の起源となったとされる「ヒッグス粒子」の探索結果を発表した。素粒子物理で「発見」と断定できる信頼度ではないが、「存在の兆候」をつかんだ。

2チームが別々に観測した。いずれも水素原子130個ほどの質量の領域で形跡をつかみ、「発見」に近づく結果が得られた。素粒子物理の基準では存在する確率が99.9999%以上で「発見」と認定する。ATLASチームは98.9%、CMSチームは97.1%となり、データを増やせば「発見」となる可能性が高まった。

ヒッグス粒子探索は、2008年から観測を開始したCERNの巨大粒子加速器LHCの第一目標。陽子と陽子を衝突させてヒッグス粒子ができるのは、1兆回に1回ほど。できてもすぐになくなるため、衝突で出る光や粒子を観測して、ヒッグス粒子の痕跡を探している。


                          2011年12月14日(水)  朝日新聞




        
  
ヒッグス粒子探しに使われた、ATLASの検出器=欧州合同原子核研究機関(CERN)提供









世界的な素粒子物理の研究機関である欧州合同原子核研究機関(CERN)は13日、宇宙の物質を構成する素粒子に質量を与える「ヒッグス粒子」を99・98%の確率で見つけたと発表した。

ヒッグス粒子は、宇宙の成り立ちを説明する素粒子物理学の標準理論に欠かせない存在で、世界の物理学者が40年以上にわたって探索してきた。最終結論は、来春以降にさらにデータを収集したうえで下すという。

発表したのは、東京大学や高エネルギー加速器研究機構など日本の15機関も参加する「ATLAS」実験グループと、欧米を中心とする「CMS」実験グループ。

両グループは、2010年から本格稼働したCERNの「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」という実験装置を使い、原子核を構成する「陽子」とよばれる粒子を光速近くまで加速。二つの陽子を正面衝突させ、中から飛び出してくる様々な種類の粒子からヒッグス粒子の痕跡を探していた。

ATLASグループによると、10月末までのデータを分析した結果、素粒子の質量を示すGeV(10億電子ボルト)で、126GeV(陽子約130個分)前後の質量を持つ、未知の粒子とみられるデータが含まれていることが判明した。

今回は、物理的な重要性を考慮してあえて厳しく見積もることも試み、その結果は98・9%だった。ヒッグス粒子の存在が確認されたと断定するには、
99・9999%の確率に達することが必要だという。CMSグループもヒッグス発見をうかがわせる結果を得たと発表した。


                  
  2011年12月13日  読売新聞





      
                            
東京大学 浅井祥仁准教授(13日 東京大学にて)










 
    追跡かわし続けた「神の粒子」、ついに痕跡発見

物理学者の追跡を最後までかわしてきた素粒子の痕跡がついに見つかった。

欧州合同原子核研究機関(CERN)の研究者が存在の可能性を示したヒッグス粒子。他の素粒子に質量を与える特異な性質から「神の粒子」とも呼ばれ、その発見は
現代物理学の基礎である標準理の正しさを補強する物証となる。 

標準理論によると、137億年前に宇宙の始まりであるビッグバン(大爆発)が起きた直後は、電子やニュートリノなど様々な素粒子が、質量のない光子(光)と同じ光速で飛び回ったとされる。標準理論は同時に、素粒子の質量はゼロであるという前提で作られていた。

しかし、アインシュタインの特殊相対性理論が示すとおり、現在の宇宙では素粒子は光速より遅くしか飛べず、素粒子に質量を与える粒子がなければ説明がつかなかった。

ヒッグス粒子は英国の物理学者ピーター・ヒッグス博士が1964年、存在を予測した。宇宙の温度がビッグバン後に急激に下がったため、真空状態だった宇宙が突然、「ヒッグス粒子の海」で満たされるという現象(相転移)が起きた。この時、素粒子はヒッグス粒子との相互作用によって抵抗を受けるようになり、それが素粒子の質量となり、飛行速度も光子より遅くなったと考えられている。

相転移は、水が氷になるのと同じく状態の変化を指す。真空がヒッグス粒子の海で満たされるという相転移は、ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士が現在の宇宙の成り立ちを説明するために提唱した「対称性の自発的破れ」理論から予測された。このため、ヒッグス粒子の存在が確認されれば、南部理論の正しさを証明する物証にもなる。

20世紀初頭まで、物質の最も基本的な単位は原子と考えられていた。人類の物質観が変わったのは、今からちょうど100年前の1911年。英国の物理学者ラザフォードが原子の中に原子核を発見したのだ。それ以降、素粒子を追い求める物理学者の努力が続き、トップクォーク、W粒子、Z粒子……と、新しい素粒子の発見が続いた。

そのなかで、どうしてもとらえられなかった「最後の大物」がヒッグス粒子だった。


                            
 2011年12月14日 読売新聞









     ヒッグス粒子 根源の謎解明に少し近づいた

宇宙の起源を知りたいという根本的な問いの答えに、人類が一歩近づいたのだろう。宇宙誕生の直後、万物に質量を与えた「ヒッグス粒子」の痕跡を示す確度の高いデータが見つかった。

スイスにある素粒子物理学の国際拠点、欧州合同原子核研究機関(CERN)がそう発表した。宇宙の成り立ちを説明する素粒子物理学の「標準理論」が存在を予言し、40年以上にわたり、世界の物理学者が探索してきた。

他の素粒子に質量を与える特質から「神の粒子」と言われるヒッグス粒子の最終確認に向け、データを積み重ねることが必要だ。今回の発表は、CERNの大型実験装置で得た研究に基づく。

1周27キロ・メートルの円形加速器を使っている。この中で原子核を構成する「陽子」を光速近くに加速し、二つの陽子を衝突させる。

その際に出る高エネルギーで宇宙創成時の状態を再現し、飛び出してくる様々な粒子から、ヒッグス粒子の痕跡を探し出した。

CERNでは複数の実験グループが挑んでおり、今回は、東京大学など日本の研究機関が中心のグループと、欧米主体のグループがそれぞれ成果を上げた。

日本は長年、素粒子物理学をお家芸としてきた。ノーベル物理学賞受賞者も1949年の湯川秀樹博以来7人を輩出しているが、そのうち6人は素粒子物理学の分野からだ。

3年前に受賞した南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授は、ヒッグス粒子の役割に関し、理論的な土台を考案したことで知られる。こうした研究者層の厚さが、歴史的な成果を生んだと言える。

宇宙や万物の根源の探求は続く。ヒッグス粒子はどのように生まれたか。素粒子ごとになぜ質量が異なるのか。宇宙の膨張にどう影響したか。謎はなお多い。

今後も日本の貢献が期待されている。研究者の奮起とともに、政府もこの分野に予算を投入したり、人材育成に対する支援を強化したりすることが大切だ。

日本にCERNを上回る規模の加速器を国際協力で建設する構想が浮上している。東日本大震災の被災地である岩手県などが候補地となっている。

ヒッグス粒子の解明を踏まえて、さらに研究を広げる国際拠点ができれば、復興へ夢と希望を与えることになろう。経済への波及効果も大きいはずだ。政府として、積極的に後押しすべきテーマである。


                      2011年12月15日読売新聞・社説より








       ヒッグス粒子「確証」か? 7月4日に新成果を発表


物質に重さ(質量)をもたらす素粒子で、約40年前に存在が予言されながら未発見の「ヒッグス粒子」を探している欧州合同原子核研究所(CERN)の2つの国際チームが
来月4日、スイスの同研究所で最新の研究成果を発表する。ヒッグス粒子が存在する確実な証拠が見つかった可能性があり、内容が注目される。

 発表するのは東大など日本の研究者も参加する欧州主体の
「アトラス」と、米欧の「CMS」の2チーム。昨年12月、ヒッグス粒子が存在する可能性が高まったと発表しており、今年のデータを追加した新たな結果を公表する。

 素粒子物理学で「発見」と断定できる正確さには至っていないもようだが、
「確証」といえるレベルに達した可能性がある。発見すればノーベル賞は確実視されている。

 両チームは来月上旬、オーストラリアで開かれる国際会議で結果を発表する予定で、CERNでの発表はその初日に合わせて行うことが急遽(きゅうきょ)、決まった。大型加速器を使って陽子同士をほぼ光速で衝突させる実験を2009年に開始し、
陽子の約130倍の質量を持つ未知の粒子の存在を示唆するデータを得ていた。

                        
2012年 6月26日  産経新聞






物質を構成する素粒子に質量を与え、「神の粒子」とも呼ばれる「ヒッグス粒子」の検出実験について、国際的な素粒子の研究機関である欧州合同原子核研究機関(CERN)が来月4日、最新成果を発表する。

 ヒッグス粒子はノーベル物理学賞の
南部陽一郎博士の理論などから存在が予測された未知の粒子で、発見されれば、ノーベル賞の受賞は確実と言われている。データが今年はすでに昨年1年間の約1・2倍集まっている。ヒッグス粒子の「確証」を得ている可能性があり、発表内容が注目される。

 発表するのは、日本の研究者も参加する「ATLAS」と、欧米を中心とする「CMS」の2チームの実験結果。CERNの大型加速器を使って、別々にヒッグス粒子を探している。両チームとも昨年12月、陽子より約130倍重い未知の粒子のデータを得ており、ヒッグス粒子の可能性は最大99%以上と見積もった。しかし、物理学の世界では「発見」には
99・9999%以上の確率が必要だ。


                        
2012年 6月25日 読売新聞夕刊












       ヒッグス粒子とみられる新粒子発見!


万物に質量(重さ)を与えると考えられてきた「ヒッグス粒子」とみられる新粒子を発見したと、スイス・ジュネーブ近郊にある欧州合同原子核研究機関(CERN)が4日、発表した。ヒッグス粒子は素粒子物理学の基礎となる「標準理論」の中で唯一見つかっていなかった素粒子だ。宇宙がいかにして現在の姿に至ったかを解明する意味がある。

 ヒッグス粒子は、137億年前の「ビッグバン」によって宇宙が誕生した直後に、光速で飛び回る素粒子に対して水あめのように作用して、動きにくくしたと考えられている。この「動きにくさ」こそ、質量を持ったことを意味する。

 宇宙はその後、少しずつ温度を下げ、動きにくくなった素粒子はやがて相互に結びつき、陽子や中性子を形成した。それらは原子や分子を形作り、物質やわれわれ人間、それらすべてを含む今の宇宙になったとされる。


                       2012年 7月 5日 朝日新聞



                        






欧州合同原子核研究機関(CERN、スイス・ジュネーブ郊外)は4日、「ヒッグス粒子とみられる新粒子を発見した」と発表した。

 ヒッグス粒子は、物質に質量を与えたとされる。世界の研究者が40年以上探し続けてきたが、現代物理学の枠組みをなす「標準理論」で考えられた17種類の素粒子のうち、唯一見つかっていなかった。年内にはヒッグス粒子の存在が最終確認される見通し。標準理論の正しさが揺るぎないものとなり、人類史上の大きな成果となる。

 ヒッグス粒子を探す実験は、CERNの「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」で行われた。光速近くまで加速した陽子同士を正面衝突させ、宇宙の誕生直後の高温状態を再現。発生する様々な粒子の中にヒッグスがあるかどうかを、二つの国際チームが調べた。このうち「ATLAS」チームには、東京大学など日本の16機関も参加している


                   2012年 7月 5日 読売新聞


               





















 Vol.6



  ブラックホールを見つけた男  アーサー・I・ミラー 阪本 芳久 訳

                 草思社  2500円(外税)








ブラックホールとは?(読む前のミニ知識)


              @ ブラックホールができるまで


光でさえも逃げ出すことのできない圧倒的な超重力を持つブラックホールは、現在まで実際に確認されたことがない謎に包まれた天体です。

そのブラックホールの正体は、太陽の30倍以上の質量を持つ巨大な恒星が自らの寿命を終え最後に大爆発
(超新星爆発)を起こした後に残す莫大な重力を持った天体です。


一般的な恒星は、爆発した後、そのまま消滅したり、中性子星という新たな天体を形成しますが、太陽の
30倍以上の質量を持つ恒星が爆発すると、重力崩壊という事態を招きます。重力を崩壊させた恒星は、球体を保てずに内側に向かってどんどん縮んでいってしまいます。極限まで縮んで最終的にただ一点となった密度の高い天体、それがブラックホールなのです。



            
A ブラックホールの寿命は?


古典物理学では、ブラックホールはその強力な重力により周囲の物体を飲み込み続け、限りなく質量を増大させていくと考えられていました。しかし、1974年、
スティーブン・ホーキング博士によって「ブラックホールの蒸発理論」が提唱されました。

ホーキング博士は、ブラックホールの周りの空間には絶えず生まれては消える粒子と反粒子の対があることに注目し、アインシュタインの一般相対性理論に量子力学を用いて次のような結論を出しました。

「ブラックホールはある一定の質量以下になると粒子を放出し、エネルギーを失ってしまう。その結果、ブラックホールの質量は減少する。質量が減ると粒子がより多くでてしまい、ブラックホールは加速的にその質量エネルギーを失い続けて最後には蒸発して消えてしまう。」

そして、ブラックホールの蒸発には長い時間がかかると言われています。太陽と同じ重さのブラックホールでも、蒸発・消滅するまでは宇宙年齢(推定150億年)の10の54乗倍かかってしまいます。これらの理論によるとブラックホールの寿命は計り知れない長さのように思えます。



         
B ブラックホールはどこに存在するのか?


ブラックホールは目に見えないため、その存在は周囲の動きを観察することによってのみ確かめることができます。ブラックホールの周りではガスや塵などの物質が互いにぶつかって高温になり、
X線を放ちます。それをX線検出器で観測した結果、現在候補となっているブラックホールが見つかりました。

初めて発見されたのは、1971年の
「はくちょう座Xー1」という天体です。はくちょう座の中に位置し、地球から約6000光年の距離にあります。 このはくちょう座X−1に伴星が観測されX線観測によって、主星から放出されたガスが、なにものかに吸い込まれていることがわかりました。

これがブラックホールの最有力候補です。このほか」「こぎつね座」「大マゼラン銀河」など約20のブラックホール候補が確認されています。

また1990年にNASAのスペースシャトル”コロンビア号”から打ち上げられた
「チャンドラX線観測衛星」によって、地球から約1億光年離れた銀河・NGC4261に、多数のブラックホールらしき天体の存在が明らかになっています。

この発見によって、多くの銀河の中心にはブラックホールが存在するということが確証されつつあります。



             
C ブラックホールを作る!!


2007年、スイス・ジュネーブにある
CERN(セルン:ヨーロッパ合同原子核研究機構)で、「ミニブラックホールを地球上で作る}という実験がスタートしました。

この実験は、
大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の中で、極小ビッグバンを再現させるというものです。1周27kmの円周の中で陽子と陽子を光に限りなく近い速度で回転させ、正面衝突させます。その衝突の瞬間に莫大なエネルギーが生まれ、ビッグバンと同様なエネルギー状態を人工的に作り出すことができるというわけです。

そしてその際、発生するのではないかと考えられているのが、極小のブラックホールです。このLHCの実験が行われたときには、真剣に地球が消滅してしまうと言い出す人が現れたり、安全性を巡って裁判になったりしたそうです。しかし多くの科学者はもしブラックホールができても瞬時に光を放って消滅するため影響はないと考えています。




              
D ホワイトホールについて



SF小説などによく
「ワープ」という言葉が出てきますが、「ワープ」とは「ゆがみ」とか「よじれ」という意味で、アインシュタインの一般相対性理論では、大きな質量があるとき、時空(時間と空間)がゆがむと考えられてます。

例えば、ブラックホールのところでは時空が深い井戸のようになっているとされています。そこでは時空を反転したブラックホールというものが想定され、これは深い井戸から物質が光の速度で飛び出してくるようなもので、ブラックホールに対して
ホワイトホールとよばれています。ブラックホールは、物質を吸い込み、ホワイトホールは、はき出すという対の関係となっています。

ちなみに、ブラックホールとホワイトホールがペアでつながって、時空にあいた虫食い穴のようになったものを
ワームホールとよんでいます。リンゴの内部にあいた虫食い穴と思って下さい。リンゴの表面のある場所からその裏側の地点に移動するときに、リンゴの表面を通るより、その穴を通った方が近道になります。

そして相対性理論によると、わたしたちが住んでいる空間にもリンゴの場合と同じような虫食い穴が開いている可能性があります。私たちは、通常、空間内を移動しますが、ワームホール通って移動できれば、ずっと短い時間ですみます。そして非常に強い重力が働くワームホールの内部を通過すれば、移動時間がほぼゼロの
瞬間移動ができることになります。漫画の「ドラえもん」の”どこでもドアー”等、ひみつ道具の世界が実現する可能性もあります。


最後は少しSFの世界のような話になってしまいましたが、これからの宇宙物理学の進歩によって、また新しい発見があるかもしれません・・・









 ここから本の紹介です


「ブラックホールがこの宇宙に存在する」 1930年にそれを理論的に指摘したのが、インドからきた19歳の天才少年、チャンドラセカールであり、それを否定し続けた天体物理学の巨人とされている「エディントン卿」との確執と友情をチャンドラセカールの生涯を通して描いています。

本書では、ブラックホールの発見にまつわるさまざまな物語を当時の多くの科学者を登場させながらかなり綿密にたどっていきます。それらを通して私たちは、「星がどのように生まれて一生を過ごし、最後に壮大な死を迎えるのか」を解き明かそうとした人類のこれまでの探求の道のりを知ることができます。

また、この本は自らの発想の正当な評価を求めて、ある意味で封建的ともいえる既成の科学界と闘ったチャンドラセカールの物語ですが、「科学とは何か」 「科学はどのように機能するのか」 「科学が道を誤るときはどんなときか」 「科学は誰のために」 「科学を究めていく上での人間関係の難しさ」 など、数多くの本質的なテーマがあるようです。



         
第1部  


第1章   決定的な衝突の時

第2章   イギリスへ旅発つまで

第3章   天体物理学者の巨人、エディントン

第4章   エディントンの味方と敵

第5章   英国への旅たちから運命の日まで

第6章   エディントンの真意

第7章   新天地アメリカへ

第8章   一つの時代の終わり




         第2部


第9章   星の研究をはじめた物理学者たち

第10章  水爆開発と超新星の研究

第11章  あり得ないことが現実に





         第3部


第12章  姿を現したブラックホール

第13章  「美しいものを前にしての戦慄」

第14章  心の奥底、ブラックホールの奥底


補遺    シリウスB

補遺    超新星





※ あとがきも含めると488ページもある長編なので、興味がある受験生の方は来春、合格してから読まれた方がよいと思います。















 Vol.7


                    CHEMISTRY

         日常で役立つ  化学    吉田ゆかり 著  

                誠文堂新光社  1400円(外税)






副題が「雑学を超えた教養シリーズ」です。普段の日常現象を化学的に見ると非常に興味深く感じられることが多く、それを一つ一つわかりやすく説明しています。



                    前書きより抜粋


「私たちの暮らしの中には、化学の原理や現象を利用しているものがたくさんあります。私たち自身も、気づかないうちに化学の原理を使って生活しています。また、たくさんの化学物質も利用しています。

料理や掃除、様々な生活用品や機器は毎日の生活にとけ込んでいますが、化学的な視点で見ることでしくみがわかったり、工夫や応用の幅が広がったりすることがあります。

本書では、「化学は難しい」「化学式を見ただけで・・・」など、化学に対してなじみが薄いと感じる人にも、日常の生活を見回したり、ニュースなどで流れてくる情報を取り上げるなど、化学の視点で理解することが出来るよう説明しました。

                      中略

化学の魅力が伝わればうれしく思います。化学を使いこなすのは私たち自身です。化学を暮らしにどのように役立てるか、どんなことに注意すれば有効に使えるかなど、皆さんが化学を使いこなすときの一助になれば幸いです。」


 目次

        主な項目をピックアップしてみました。

 第1章  暮らしを支える素材列伝


Tips  5  耐熱ガラスと強化ガラスはどう違うのか

Tips  9  雑巾はなぜ、絞った形のまま乾くのか?

Tips 14  乾電池は乾いた電池か?

Tips 17  紙おむつはどうしておしっこがもれないの?

Tips 27  炭素でサッカーボールを作って、何になるのか?!

Tips 28  レアメタルって、なんだ?

Tips 29  超伝導って、なんだ?



 第2章 家の中は化学がいっぱい


Tips 33  日焼けを防ぐクリームUVカットってなに?

Tips 44  シャンプーって石けんとどう違う?

Tips 45  ドライクリーニングのドライとは?



 第3章 実験ラボ 台所の事件簿


Tips 56  圧力をかけると温度はどうなる?

Tips 58  重曹がどうして汚れ落としに使えるのか?

Tips 59  火がなくても熱くなる、電子レンジ

Tips 60  触っても熱くないのに加熱! Hクッキングヒーター

Tips 61  電熱器は、「電気の通りにくさ」を利用する

Tips 64  浄水器のしくみはどうなっているの?

Tips 65  アク取りは必要なのか

Tips 67  冷凍した野菜はまずくなるのか?

Tips 71  魅惑の発酵食品



 第4章 環境と暮らしの化学


Tips 76  ダイオキシンってどうして出来るの?

Tips 81  環境を破壊しない冷媒をさがす

Tips 82  光化学スモッグって何なの?

Tips 85  燃える氷メタンハイドレード

Tips 88  バイオマスは再生できるエネルギー源

Tips 89  酸性雨はどうして降るの?



 第5章 化学は役立つ


Tips 94  化学物質とグリーンケミストリー

Tips 95  危ない化学物質を追え! PRTR法

Tips 99  科学館を活用しよう

Tips 100 化学をどんどん使おう














 Vol.8


             見てわかるDNAのしくみ


     
JT生命誌研究館  工藤 光子  中村桂子  著  

 講談社 BLUE BACKS      DVD3枚付き 1600円(外税)



 




      「また、DNAか・・」とお思いになるのを承知で紹介致します。

この本の優れているところは何と言っても付録のDVDです。本の中身もすばらしいですが、DVDを初めにご覧になって感動して、その後、本を読まれたほうが理解しやすいと思います。



                前書きから抜粋

「生物学の教科書には、これがDNAですとして二重らせんの図が描いてあります。これがなかなか美しい。しかも二重らせんというその構造の中に、「生きものが生きものとして生きていく」のをささえるはたらきが入っているのですからなんとも魅力的です。

生きているとは、ダイナミックに動いていること。そうだとすると、DNAもダイナミックに動いているはずです。それを見なければDNAを見たことにならないと言ってもよいでしょう。

作成してからこれまでに、大勢の人に見ていただきましたが、専門家はより深く生命現象を理解するきっかけとして、先生は教材として、子どもは楽しい映像としてなどなど、それぞれDNAに接し、楽しんで下さっているのがよくわかり、造ってよかったと思っています。

更には、DNAという物質で人間という機械を説明するのでなく、DNAも含めて、生きもの全体が生きている姿を見ていこうという気持ちになったという声がたくさん聞こえてきたのも嬉しいことでした。

とにかくご覧下さい。小さな小さな物質がけんめいに、しかもなかなか巧みにはたらいている様子から、「生きている」ってこういうことなんだという感じが生まれてくると思うのです。

これまでどこにもなかった、DNAが体の中、細胞の中ではたらいている様子の映像です。DNAという物質は「生きている」を支えているものだと感じていただきたいのです。

ここからDNAの持つダイナミズム、いきていることのみごとさを感じとっていただけますように。

そして、「生きている」ということについて考えるきっかけとしていただけますようにと願っています。」




              今あなたが生きていることを
             支えているDNA
             この美しい二重らせんが
             生まれ、ほどけ、また生まれ
             絶え間なくはたらき続けている




             黙々と必要なタンパク質を
             必要なだけつくる
             生まれたタンパク質は
             必要なところに送られ
             そこで 黙々とはたらく




             あなたの細胞の中、
             DNAがまとまったまま
             複製が始まり、終わる
             バラバラのようでひとまとまり
             何がとりしきっているのか




             安定をほこるDNAも
             いつもあちこちで変わっている
             急いで直さなくては
             でも、それが時に
             新しさを生むこともある




             親から子へと
             生きることをつないでいくDNA
             卵と精子の中で
             様々なDNAが混じり
             たった一人のあなたにつながる






                






















 Vol.9


 アインシュタイン

 金子 務   監修         千葉 透   文

河出書房新社  1800円(外税)



 




                  アインシュタインの生涯



アインシュタインは1879年(明治12年)3月14日、ドイツのウルムで生まれました。その後、1896年にスイス・チューリッヒ連邦工科大学の数学物理学部門に入学して、1900年に卒業しています。

そのまま大学の助手として残れるよう努力したのですが、それが叶わず、1902年ベルンにある特許庁に就職します。そして1905年、「特殊相対性理論」など、科学の発展に多大な影響を与える3つの理論を発表しました。

また、1915年(大正4年)から1916年にかけて「一般相対性理論」を発表し、この理論により10年前に発表していた「特殊相対性理論」が完全なものと成りました。


そして、1921年には理論物理学の発展への貢献としてこの年の「ノーベル物理学賞」を授与されますが、意外にも受賞理由は相対性理論ではなく、光の性質に対する理論でした。

それは「光量子仮説と光電効果」という論文で、それまで波だとされていた光を粒子とする量子力学のパイオニアで、この理論は後に「エレクトロニクス」の発展に貢献する重要なものとなります。


1922年10月8日にマルセイユを出発した日本郵船「北野丸」は40日間かけて、11月17日に神戸港に到着します。アインシュタイン夫妻の日本訪問が実現しました。11月19日の慶応大学での一般講演を皮切りに仙台・名古屋・京都・大阪・福岡と各地で大歓迎を受けます。

1933年(昭和8年)にはアメリカへ移住し、プリンストン高等研究所教授に就任します。第2次世界大戦で広島と長崎に原爆が落とされたことに衝撃を受け、翌年、原子科学者協会の会長となり、世界政府を作る支援を公に呼びかけます。

そして1955年、アメリカ・プリンストン病院で心臓病のために亡くなります。76歳でした。アインシュタインの遺書により火葬され、遺灰はプリンストンのデラウエア河に流され、墓は作られていません。




  
第1章   ありのままのアインシュタイン

  第2章   アインシュタインの生涯

  第3章   大正日本を揺るがせたアインシュタイン・ショック

  第4章   アインシュタインの日本滞在記

  第5章   天才科学者が残したこと





            
    スイス特許庁時代   湯川秀樹博士と共に       奈良公園にて

  著書より抜粋 : 本の中には、この他にも当時の写真が多数載せられています。





    













 Vol.10


      ニュートン別冊  相対性理論  改訂版

     監修  東京大学 大学院理学系 研究科教授  佐藤勝彦

              ニュートンプレス 1995円(内税)



          図解 相対性理論量子論 (同 著者)

             PHP研究所  500円(内税)



          

     
相対性理論とは「時間と空間の性質を科学的に解明した理論」です。それまでのニュートン力学では、時間と空間は「他の何ものとも無関係に存在するものだ」と考えられていましたが、実際には、時間や空間は永遠不変のものではなく、状況に応じて伸び縮みするものだったのです。


その時間や空間がどんな条件でどの程度伸び縮みするのか、それを明らかにしたのが相対性理論なのです。



 特殊相対性理論


「特殊相対性理論」によれば、光の速さに近い速さで飛ぶ宇宙船の中では、時間の進み方が遅くなります。ある星から見ると宇宙船の中の時間の進み具合は遅れてしまうのです。

実は日常生活の中でも、非常にわずかですが存在します。時速200kmの新幹線の中なら、その空間では1秒あたり100兆分の2秒ほど時間の進み方が遅くなっています。飛行機内だと1秒あたり10兆分の3秒の遅れになります。





             


それでは、「時間の進み方が遅くなる」という特殊相対性理論の核心にせまっていきます。皆さんは今、月面にいるとします。そして、月面の上と超高速宇宙船の中に「光時計」を置きます。


「光時計」とは、上部と下部に鏡があり、その間を光が行ったり来たりすることで時間を計る装置です。下部の鏡には光源がついていて、光が下から上に達した瞬間が
1ナノ(10億分の1)秒経過したことを意味します。(光の速さは、毎秒約30万kmなので、30cm進むのにかかる時間は10億分の1秒です)



さて、宇宙船内でこの時計を見ると、宇宙船内は静止しているのと変わらないので、光源から出た光はまっすぐ上に向かいます。


今度は月面にいるあなたの立場で考えてみましょう。あなたから見ると宇宙船は動いているので、宇宙船内の光時計の光源から出た光は、上の図のように
斜めに進むように見えるはずです。

ここで重要なのは、光時計の高さよりも、明らかに斜めの軌跡の方が長いということです。月面に置いた光時計も同じ速さで進みますから、月面の光時計の光が上の鏡に到達し、1ナノ秒の時を刻んだ瞬間には、宇宙船内の光時計の光は上の鏡には達しておらず、
遅れて上の鏡に達するはずです。


上の鏡に達する時が宇宙船における1ナノ秒なので、月面のあなたから見れば、
宇宙船の1ナノ秒は月面の1ナノ秒よりも長いことになります。つまり、



 月面のあなたから見ると、宇宙船内の時間は遅れていることになります。




そして、宇宙船の速さが光速に近づくほど、時間の流れはどんどん遅くなっていきます。どのくらい宇宙船の時間が遅くなるかは、中学校3年生の数学の授業で学習する「三平方の定理」から求められます。




      


結論は、動いているものは時間の流れがゆっくりなるのです。例えば、あなたに2歳違いの兄がいて、月にいる弟のあなたが10歳年をとったしても、光速の80%の宇宙船で飛行を続けている兄は6歳しか年をとりません。お兄さんが2歳年下になってしまうのです。だから超高速で運動する人は止まっている人に比べて寿命が伸びることになります。


しかし、この時間の流れの変化は、物体の運動速度が高速度に近づいた時に初めて現れます。現在のテクノロジーでは光の速さの1万分の1程度の宇宙船しか建造出来ないので、弟がいつの間にか兄になってしまう逆転現象を実感できるのは
今のところ不可能です。










一般相対性理論 


「一般相対性理論」の根本は
「光が重力によって曲げられてしまう」と言うことです。物体ではなく重さを持たない光が、重力によって進む道筋を変えられてしまうのです。

皆既日食などの時に、本来は太陽の後方にあって見えないはずの恒星が観測されることがあります。これは恒星から発した光が太陽のそばで曲げられて見ることが可能になってしまうのです。


初めてこれが実証されたのは1919年5月でした。イギリスの天文学者エディントンがアフリカで、グリニッジ観測所長だったダイソン卿がブラジルで、皆既日食を観測し、アインシュタインの主張が正しいことを証明しました。

光は太陽の質量がつくる曲がった空間を進んだために軌跡が曲がってしまったのです。そして空間の曲がりは、質量が大きくなればなるほど大きくなります。
ブラックホールのそばでは極端に大きく曲げられていて、近くを通った光はブラックホールの中に吸い込まれてしまいます。そして出てくることが出来ません。これがブラックホールが見えない理由です。



            









            今度は重力と時間の関係についてです。

    


重力がある恒星の周りは空間が曲がっていて、光はその中を進むので、光も弧を描くということがお分かりになったと思います。また光は幅を持っているので、恒星から遠い縁の長さ(AB)は、恒星に近い縁の長さ(CD)よりも長くなります。


そして
「光が進んだ距離=光速×時間」なので、AB間とCD間を同じ速さで進んだとすると、CD間の距離の方が短いので、CD間を通過する時間がAB間よりも遅くならないとつじつまが合わなくなります。



つまり、

 重力が強い場所ほど時間の流れが遅くなるのです。


「ブラックホールの境界では時間が止まる・・」 一般相対性理論ではそう予言しています。












                 付録
    
 カーナビは、相対性理論によって支えられている



カーナビはご存じのように、自動車の現在位置と進行方向を画面上の地図に表示する装置です。そしてカーナビで自分の現在位置を割り出す際には、GPS(Global Positioning System)というシステムが使われています。


GPSは
高度20000kmの軌道上を約半日で周回する複数の人工衛星から電波を受信し、現在位置を把握するシステムです。

GPSは、3個以上の人工衛星との距離を求めることで、自動車が地球上のどこにいるのかを割り出しています。衛星が発信する電波の速度と、電波が衛星から自動車に届くまでの時間がわかれば、「距離=速度×時間」によって、衛星と自動車の距離が求められます。

 



          
ここから相対性理論との関係になります。



まず、GPSは地球の周りを
秒速約4kmというスピードで回っています。すると「特殊相対性理論」によると、速く動く物体内の時間は遅れますので、この衛星の周回運動がもたらす時間の遅れは、1日に7.1マイクロ秒(マイクロ秒は100万分の1秒)になります。

次にGPSの軌道は
高度約20000kmです。地球の重力の影響は地上に比べて弱くなります。「一般相対性理論」によると、重力の強い場所ほど時間が遅れますので、逆に重力の弱いところの時間は速く進みます。


これによる効果は、GPSの原子時計を1日に
45.7マイクロ秒進ませてしまいます。特殊相対性理論によって、1日に7.1マイクロ秒遅れ、一般相対性理論によって45.7マイクロ秒進んでしまうのです。



結局、両者を差し引くと(45.7−7.1=38.6)、1日あたり、
38.6マイクロ秒だけGPSの時計が進みます。

これを補正しないでおくと、38.6マイクロ秒の間に電波は約11kmも進んでしまいます。これでは正しい位置が表示できず、カーナビは使い物にならなくなってしまいます。


実際のGPS衛星の時計はこれを補正するために、
毎秒100億分の4.45秒ゆっくりと進む設計になっています。



カーナビという身近で便利な技術は、アインシュタインの二つの相対性理論によって支えられていたのです。




                    


                      



                  

























 Vol.11




            iPS細胞がわかる本


               Induced pluripotent stem cells
          
    (人工的に誘導された分化可能な幹細胞)


                
未来をひらく最新生命科学


著:   日本科学未来館

監修: 須田年生 慶應義塾大学医学部 発生・分化生物学教授 医学博士

監修協力: 京都大学iPS細胞研究所


 PHP研究所  1300円(外税)
  2010年9月1日 第1版・第1刷発行







この本は、日本科学未来館の映像作品「Young Alive! iPS細胞がひらく未来」を基にしてつくられました。iPS細胞に関する本は多数出版されていますが、書店で見かける本は専門書が多く、小・中学生の皆さんにとっては難しく感じてしまわれるかもしれません。

その点において、この書は、小学6年生の少女 ”のぞみ”が、夏休みに訪れた山村で、自然に触れ、生命の不思議に惹かれていく物語を通し、iPS細胞が切り開く未来を描いた映像から生まれただけに、とてもわかりやすく興味深い内容となっています。



             
 第1部  細胞の世界


        「ヒトができるまで」  「生きるためのミクロのしくみ」


細胞とはどんなものなのか?また、いろいろなタンパク質の話しや、DNAからタンパク質が出来るまでの道筋がよくわかります。





            
  第2部  細胞の初期化


          「細胞の運命」   「iPS細胞の誕生」



ふつう、細胞たちの役割は一度決まってしまうとその後は変化しません。例えば皮膚になった細胞はずっと皮膚のままです。

しかし遺伝子操作などの人工的な操作によってiPS細胞は、発生の最初の頃のように役割分担する前の状態に戻り、別の役割をもつ細胞に変わることが出来るのです。

皮膚細胞からつくったiPS細胞であっても、上手に育てれば、筋肉や神経といった、以前とは違う細胞生まれ変わることができます。


iPS細胞は再生医療や細胞移植医療に期待されているだけではなく、再分化させた細胞で薬の効き目や副作用を調べることによって、今よりも安全にたくさんの病気を治せる可能性を秘めています。













 Vol.12



                 生命誌 年刊号 Vol.61ー64

                 めぐる   中村桂子 編

           JT生命誌研究館  新曜社  2000円(内税)






    1年に4回発行される季刊「生命誌」を編集して書籍にしたものです。

    構成は4つに分かれていて、


    TALKー語り合いを通して  時と場をめぐる

    RESEACHー研究を通して  めぐる中で生きる

    CROSSーBRH(Biohistory Research Hall)をめぐる研究 関わりを探る

    SCIENTIST LIBRARY 人を通して サイエンティスト・ライブラリー


それぞれが、各部門のスペシャリストとの対談形式になっていたり、解説であったりしますが、おもしろいエピソードも混ぜながら、豊富な写真と詳しい図解で非常に興味深い内容になっています。コーヒー・紅茶を飲みながら、また時にはケーキやチョコレートを食べながら読んでいると、「ひとりサイエンスカフェ」の雰囲気が味わえます。




                   
 
                   本書 巻頭から

生命とはなにか。私たちの問いはこれです。とても難しい問ですし、実は何をどのように考えたら答えに近づけるのかよくわからないところがあります。

そこで科学は、生きものを物質として分析していくという方法をとり、DNAやタンパク質などを見いだし、その構造やはたらきを調べ、バクテリアにも人間にも通じる共通性やそれぞれに特有の性質を明らかにしてきました。

すばらしい理解です。でもそれは、相手を機械と同じように見ているのではないかと心配になります。自分も生きものなんだ、生きものって生まれてくるものなんだ・・・日常の気持ちに戻ると生きものは動くもの、ちょっと不思議なものとして見えてきます。

そこで、生きものとはなにか、生命とはなにかと問うのではなく、
生きてるってどういうことなのだろうと考えてみることにしたところ、頭の中をさまざまなことがめぐり始めました。動詞で考えよう。

以来、生きものたちの特徴や生きものを知ろうとする時に大事なことを表す言葉を探し、テーマを決めてきました。愛づる、語る、観る、関わる、生(な)る、続く。今年は
「めぐる」です。今、考えることがおろそかにされています。どこまでできるかわからないけれど、この動詞で浮かび上がることを考えようという試みです。




                 
 「時と場をめぐる」から

今年のテーマは「めぐる」でしたから、さまざまな場面が浮かび、知りたいこともたくさん出てきました。地球誕生から46億年の中で演じられたダイナミックな地球と生命の関係。数千年前から太平洋の島々をめぐって暮らしてきた人々。

サハラや中国の砂漠から舞い上がった砂が地球をめぐり、各地の動植物や人間生活に影響を与えている毎日。脳の中で人間特有の言葉が生み出されるしくみ。
時間・空間を越えて事柄が動いていることが実感できました。


この実感こそ生きていることを考える基本だと思います。ここで得たことを生命誌の活動に生かし、またそれを
他の知とつなげるというサイクルをくり返していくことで生命について、人間についてより深く考える場を作っていきたいと思います。そしてここで得た実感をできるだけ多くの人と共有できるようにと願っています。




                 サイエンティスト・ライブラリーから

人を通して研究を知ることの大切さを伝え続けてきたサイエンティスト・ライブラリーは今年も素晴らしい4人の方に研究の本質を教えていただきました。

共通しているのが、
独自の考え方と方法があることです。顕微鏡下で見えるものを美しいと感じ、発見をした廣川さんと大隅さん。考え抜いて的確な課題設定をし、論理で攻める坂野さん。人との出会いを生かし、糖鎖という新天地を開いた谷口さん。

それぞれに
自分にしかできないという自信が生まれる過程、その自信を生かして成果生み出す過程から科学の本質が見えてきます。

更に、独自のものを持ちながら、それにこだわらずに新しい問いを立て、新しい方法や分野をとり込んで視野を広げて行くところも魅力です。生命とはなにか、人間とはなにかという問いに答えるには、分子・細胞・個体という全体をじっくり見る必要があるのです。

基礎を築けば自ずと全体が見え、応用も生まれるのに、役に立つ成果を急いで求めてはいけないという研究姿勢も共通しています。すべて若い人に伝えたいことです。











vol.13


          Newton  別冊   生物多様性

            ニュートンプレス  2415円 (内税)





2010年11月18日に、名古屋市で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開幕しました。COP10には、11日に始まった関連会議も含めると、約190か国・地域から約1万人が参加しました。

日本では13年前に開かれた地球温暖化防止京都会議以来の大規模な環境会議となります。

会議が進むにつれ、
遺伝資源を利用した医薬品などの利益配分の対象を巡って先進国と途上国が激しく対立し、歩み寄りがなかなか見えませんでしたが、最終日に議長の松本環境相が示した議長案にほぼ合意し、30日未明、生物遺伝資源の利益配分ルール「名古屋議定書」と、生態系保全のための世界共通目標「愛知ターゲット」などを正式に採択して閉幕しました。


今、私たちはどんな環境の中で暮らしているのか、そしてこれからどのように対処し、どんな準備をしていかなければならないのか等を考える意味で、是非一読をお薦めします。









                  前書きより抜粋



生物種内、生物種間、および生態系の多様性をさして「生物多様性」といいます。

私たち人間は、世界の至る所で生態系を破壊したり、汚染したりしています。そして、この私たちの行動によって、多くの動物や植物がかつてないスピードで絶滅に向かっているという事実が、さまざまな研究データによって明らかにされています。つまり、生物多様性は刻々と失われているのです。

本書では、生物の多様性について詳しく解説するとともに、深刻さを増す生態系の破壊や汚染、異例の速さで進行している生物絶滅の現状などについて、最新のデータを使って紹介していきます。

本書を通じて、多種多様な生物が暮らす地球の生態系のすばらしさと、その保護の大切さを少しでも感じてくだされば幸いです。


 
@ 生物多様性とは何か?

 A 生態系の多様性

 
B 失われていく生物の多様性

 
C データでみる生物多様性    〜ミレニアム生態系評価〜

 
D データでみる生物多様性    〜生物多様性条約目標達成状況〜
  










vol.14


                いきものがたり


 
            生物多様性  11の話

    企画編集 山本 良一  ダイヤモンド社 1900円(外税)



                
  小・中学生向き

                 前書きから(一部抜粋)




             
生きものたちのSOS



私たちの毎日のすべての活動は、自然環境からさまざまな
恩恵を得ることによって成り立っています。食事はもちろん、住むところから、衣類に至るまで、生きものの恩恵を受けていないものは何一つありません。

つまり生きものたちが私たちの生活や経済を支えているといっても良いのです。ですから、生きものたちの数が大幅に減ってしまうことは、私たちの存在の根本を揺るがす、まさに一大事ともいえます。

地球にはたくさんの生きものがいて、豊かな自然環境があり、そしてすべての生命が輝く個性をもっています。このことを「生物多様性」と呼んでいます。今、世界では生物多様性を守るためのさまざまな活動が始まっています。

皆さんには、ぜひ、この本を読んで、生物多様性の意味と大切さを知ってほしいと思います。そして失われつつある生物多様性を、どのように取り戻し、また守っていくかについて真剣に考え、そして行動してほしいと願っています。


       
 空気

     
 大地は母


 @ 地球は生命の星

 A 生物多様性の歌

 B ゾウムシ・ワールド   感覚で世界をとらえる

 C 文字もいきもの
 
 D 色は自然からの贈りもの
 
 E 人体いきものマップ   カラダのなかの生物多様性

 F 豊かな個性は何のため?

 G 6億年の大量絶滅史   イースター島から学ぶこと

 H 過去100年間に絶滅した動物たち   人類の繁栄とメダカの明日

 I 生きものたちの未来    温暖化に追われる生きものたち
                   自然の恵みを未来につなぐ

 J 生物多様性を守る方法


  
           もっと知りたいいきものがたり









vol.15  



                   日本の童話名作選

        おきなぐさ  いちょうの実

        宮沢 賢治 作    たかし たかこ 絵


                        偕成社  1600円(外税)







宮沢賢治の数多い童話の特色は賢治独特の描写の美しさ、表現のみごとさにあると思いますが、この2作品はそれだけにとどまらず、生物多様性の中での命の輪廻・命の大切さを描いた自然科学の本であるといえます。

また、賢治は小学生の頃から星のとりこになり、中学の時には星座表をつくって屋根へ上がり、夢中になって星の名前や動きを確かめ、夜空にきらめく星々をいつまでも眺めていたそうです。

それは、「天の川の岸にすぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでいる小さな水精のお宮です。」という書き出しで始まる
”双子の星”という作品にもその楽しさが全体に表れています。

実際には、この星はおうし座の東にならぶ
アルファ星(1等星)とベータ星(2等星)で、日本では”ねこの目”とか”めがね星”と呼ばれています。


「双子の星」の中に出てくる賢治が作った歌です。

「二人はお宮にのぼり、向き合ってきちんとすわ銀笛ぎんてきをとりあげました。丁度あちこちで星めぐりの歌がはじまりました。」
 
  あかいめだまの さそり
 ひろげた
の  つばさ
 あおいめだまの 小いぬ
 ひかりのへびの とぐろ

 オリオンは高く うたい
 つゆとしもとを おとす
 アンドロメダの くもは
 さかなのくちの かたち

 大ぐまのあしを きたに
 五つのばした  ところ
 
小熊のひたいの うえは
 そらのめぐりの めあて




 塾長 注

星座を構成する恒星は、明るい星からα(アルファ)、β(ベータ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ)、ε(エプシロン)・・・と呼ばれています。

おうし座の右目にあたる
α星は、アルデバランというオレンジ色に輝く1等星で、「後に続くもの」という意味で、すばる(プレアデス星団)を追うように空を巡っています。太陽の40〜50倍の大きさを持つ巨星で、地球からの距離は67光年です。

アルでバランの左45°斜め上にあり、牡牛の左の角の先端を担当しているが
β星名前をエルナトと言います。2等星です。ちなみに右の角の先端にある星はζ(ゼータ)星(7番めに明るい)です。


      




賢治にとって星はあこがれそのものであり、また永久に光り輝く真実だったのです。そして賢治は星だけでなく、石や草花や昆虫も大好きで小さい頃から採集をしては、それを調べ、自然や生物の勉強を続けていきました。数々の童話の中で
「科学に詳しかった賢治」を知ることができます。










  おきなぐさ

おきなぐさは岩手の言葉では
”うずのしゅげ”と言うと書かれています。辞典によると、きんぽうげ科の多年生植物で、高さ10cmくらいで、春に赤紫色の花が咲き、全体に白い毛が密生し、めしべの先が伸びて銀白色の髪のようになる。と書かれています。まるで老人のように変わってしまうので”おきな(翁)ぐさ”と呼ばれています。

童話の中では、この花の美しさをアリ、山男、ひばりなどに語らせ、黒綬子(くろじゅす)の花びらの美しさを褒めたたえていきます。しかし最後にはふさふさした銀毛の房になり風に吹かれて飛んでいきます。

自分は、ばらばらになり、それらはどこかにたどり着き、新しい命に行き着くはずですが、たましいはどこへ行ったのか、空にのぼって
変光星になったと賢治は結んでいます。


 塾長 注

変光星とは一定の周期で明るさが変化する星で全天で約29000個見つかっています。星が明るさを変える原因の主なものには、一緒に回っている星が光を遮ることによって起こる変光と、星自体が収縮をくり返すことによる変光があります。

収縮するときは高温になるため明るく、逆に膨張するときは暗く見えます。このような変光星を
「脈動変光星」と呼んでいます。また、その他にも、恒星の外層や大気が爆発することによって変光する「爆発型変光星」や、ユニークなものとして、恒星の回転によって明るさが変わる「回転変光星」があり、これはその表面に巨大な黒点が存在しているのではないかと考えられています。







                 最後の部分です。

うすのしゅげは光って、まるで踊るようにしてふらふらして叫びました。

「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがとうございました。」

そして、丁度星が砕けて散るときのようにからだがばらばらになって、一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のように北の方へ飛んで行きました。そしてひばりは鉄砲のように空へとびあがって、鋭いみじかい歌をほんの一寸歌ったのでした。

私は考えます。なぜひばりは、うずのしゅげの銀毛の飛んで行った北の方へ飛ばなかったか、まっすぐに空の方へ飛んだか。

それはたしかに二つのうずのしゅげのたましいが天の方へ行ったからです。そしてもう追いつけなくなったとき、ひばりはあのみじかい別れの歌を贈ったのだろうと思います。

そんなら天上へ行った二つの小さなたましいはどうなったか
、私は、それは二つの小さな変光星になったと思います。なぜなら変光星は、あるときは黒くて天文台からも見えず、あるときは蟻が言ったように赤く光って見えるからです。



                      









いちょうの実


いちょうの木がお母さんで、いちょうの実がこどもたちです。ある日いちょうの実が落ちる時がやってきます。

いちょうの実は、みんな一度に目をさましました。そしてドキッとしたのです。今日こそは、たしかに旅立ちの日でした。みんなも前からそう思っていましたし、昨日の夕方やって来た二羽の烏もそう言いました。

                     ・
                     ・
                     ・

そして今日こそ、子供らがみんな一緒に旅に発つのです。お母さんはそれをあんまり悲しんで、扇形の黄金の髪の毛を昨日までにみんな落としてしまいました。

「ね、あたしどんな所に行くのかしら。」一人のいちょうの女の子が空を見上げて、呟くように言いました。

「あたしだってわからないわ、どこへも行きたくないわね。」も一人が言いました。

「あたし、どんなめにあってもいいから、おっかさんの所に居たいわ。」

「だって、いけないんですって。風が毎日そう言ったわ。」

「いやだわね。」

                     ・
                     ・
                     ・


東の空が白く燃え、ユラリユラリと揺れはじめました。おっかさんの木はまるで死んだようになって、じっと立っています。

突然光の束が黄金(きん)の矢のように一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがるくらい輝きました。

北から氷のように冷たい透きとおった風がゴーッと吹いてきました。「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子供らはみんな一度に、雨のように枝から飛び下りました。

北風が笑って、「今年もこれでまず、さよならさよならって言うわけだ。」と言いながら、つめたいガラスのマントをひらめかして向こうへ行ってしまいました。

お日様は燃える宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを、悲しむ母親の木と旅に出た子供らとに投げておやりなさいました。



                       







いちょうの実が落ちることは、親であるお母さんとの別れを意味します。しかしこの別れは、次の世代を生み出すための自然の営みであり、感謝や喜びでもあるのです。

いちょうという植物を例にとって子孫を残していく「命のリレー」の瞬間を、
「突然光の束が黄金(きん)の矢のように一度に飛んで来ました。」  「お日様は燃える宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを、悲しむ母親の木と旅に出た子供らとに投げておやりなさいました。」という、ハッとするような美しい言葉で表現しています。

二つの作品を通して、自然科学の厳とした法則の中にある優しさや思いやりを感じることができます。科学はロマンであることを再認識させてくれます。

















vol.16 


 Newton  別冊  光とは何か?

    ニュートンプレス  1995円 (内税)



 

                   「 はじめに」 から


光の正体をめぐっては、アイザック・ニュートンをはじめ、数多くの科学者がその解明にいどんできました。本書では、最新科学が解き明かす
「光の正体」について基礎からじっくりと解説していきます。

本書は2007年に刊行した「光とは何か?」の改訂版です。改訂にあたっては、「高校生の意見を募る」という新たな試みを行いました。横浜市立サイエンスフロンティア高校の有志の生徒さんに参加いただき、 
「YSFHーNewtonサイエンスミーティング」を開催しました。

光について、もっと知りたいこと、素朴な疑問などの意見を募り、本書の監修者である上智大学理工学部の江馬一弘教授にも出席いただき、生徒の皆さんからの活発な意見にお答えいただきました。本書にはその会議の成果が随所に盛り込まれています。


会議に参加いただいた計44名の生徒の皆さん、江馬一弘教授、そして会議の開催にご協力いただいた横浜市立サイエンスフロンティア高校の先生方に深く感謝いたします

                 


  
    1章     身近な光の現象

      2章     色とは何か?

      3章     光の正体

      4章     光の世紀へ
 
      5章     驚愕の最先端研究

      6章     エピローグ  「光」とは結局、何なのか?








vol.17 


  子どもが幸せになる学校


横浜市立サイエンスフロンティア高校の挑戦


  菅 聖子 著   ウェッジ  900円(内税)





 第1章   サイエンスに特化した高校をつくろう ー YSFHの誕生



                
 我ら「知の開拓者」

 2009年4月5日。

「この日の横浜は、天から祝福が注がれたような晴れやかな空。完成したばかりのピカピカの校舎で、開校記念式典が始まろうとしていた。横浜市が94億円という巨額の費用を投入し、先端科学の知識を活用して、世界で幅広く活躍する人間を育成する」という理念のもとに立ち上げた、横浜市立サイエンスフロンティア高校。校内の式典会場には・・・」

このような書き出しで始まる第1章はYSFHが開校にたどり着くまでのご苦労が描かれています。市教委の内田部長、そして開設準備に携わった先生方や設立当初から関わってきた和田先生・小島先生をはじめとするスパーアドバイザーの方達の熱い気持ちと強い信念が伝わってきます。






 第2章   サイエンスはすべての考え方の基本ーYSFHの教育理念


                
和田先生と佐藤校長の決意


                      
和田先生

サイエンスの対象は、今まで自然現象に限られてきましたが、実は人間社会にも経済や金融にも、この考えが通用します。突き詰めると、世の中のすべてが
サイエンスの考えにいくんですよ。

物事の基本をサイエンスで勉強すれば、法学部に行ったって、経済学部に行ったって、どこでだってやっていける。あるいは自分で起業したときにも役に立つ。サイエンスはもっと広くとらえるべきでしょう。

つまり、この高校でやりたいと思っているのは、サイエンスのきっぱりとした考え方に人間の心を加えた
全人教育。理系や文系に関係なく、日本の将来を支える知恵を持った若者を育てたい。私はその応援団です。




                      
佐藤校長

今までの経験が生かせるという意味では、私も半分は自信があるんですよ。でもこの学校は、和田先生や小柴先生、科学技術顧問の方々を担ぎ出した、特別な使命を帯びた学校です。普通だったら一高等学校に名前を出しませんよ。したがって、その先生方を傷つける結果では申し訳ないんです。

日本を代表する科学者の方たちが
「もっと子供たちを伸ばせる」という思いを、この学校に凝縮して伝えてくださった。われわれはそれをいかに実践していくか。だからこの学校の教壇に立つということは、命がけだと私は思っているんですよ。それくらいの気持ちで、教員はやっていかなくてはならない。



                今まで経験してきた数々の高校との違いについて

それぞれの学校で雰囲気は違いますが、うちは一種独特。校風はこれからできていくのでしょうが、自分に対して誇り高い生徒が多いと思います。生き方にポリシーを持っている。

誤解を恐れずに言うなら、これは公立の学校にしては珍しいこと。私学に近い目的意識を感じます。単に偏差値だけで学校を選んだのではない空気があるからです。



          
将来生徒達にはどんなふうに羽ばたいてほしいと思っているか。

まずは言葉の壁を超えてほしいですね。
バイリンガルであること。小さい世界、小さな枠の中でおさまってほしくないんですよ。どんどん外に出て行き、世界中にネットワークを持てる人間になってほしいと思います。

いま、日本人でアメリカの大学院で理系のドクターの資格を取る人は、年間200〜300人と言われます。それに比べて中国人は、4000人もいるという。4000人対200人とすると毎年3800人ずつ拡大生産していくわけですよ。

日本人の多くは日本の大学でドクターを取っている。それもいいんですが、もっと世界に出て行って、
グローバルな中でやっていったほうが、卒業後も人的ネットワークを世界中に張りめぐらせることができます。

いろいろな意味で、世界の
フロントランナーとして活躍できるように、自信を持ってやっていってほしい。











  第3章 「なぜ?}を育むサイエンスリテラシー YSFHの授業


「サイエンスリテラシー」はYSFHの心臓とも言える授業だ。リテラシーとは
「読み書き能力、活用能力、知識能力、応用力」のこと。学校案内のパンフレットには、サイエンスリテラシーについて、次のように記されている。

「なぜをそのままで終わらせず、課題をしっかりつかみ、論理的に追求し、さらにその成果をわかりやすく発表する。このような研究活動の基本となる力を、4つのステップ<研究基礎> <先端科学実験> <課題研究ゼミ> <研究発表>で育てます。

サイエンスリテラシーの授業は、外部の科学技術顧問が講師となり、、最先端の研究技術の話しをすることになっている。大学教授や研究機関の研究者、企業の技術開発担当者などだ。土曜日のサタデーサイエンスの時間を使って、工場見学に行ったり大学の研究室を訪問したりもする。




               小島謙一 常任科学技術顧問

それらを統括する小島謙一・常任科学技術顧問は言う。「いままでの高校というのは、高校だけでクローズして文化を作ってきた印象でした。でも、せっかくサイエンスの学校をつくるのだから、
オープンにしていかないと意味がない。そのためにも、大学、研究機関、企業とのコネクションは大事です。こんなにも多くの方たちが応援団として、本気でかかわってくれるのはすばらしいこと」


サイエンスは食わず嫌いの人が多いんですよね。小学校では虫が好き、植物が好き、身近にある科学が好きという子がたくさんいる。でもだんだん年齢が上がっていくうち、嫌いになってしまうんです。

理科嫌いになるひとつの原因は、学年が上がるにつれて数学的内容が入ってくることがあげられます。数学がイヤで理科が嫌いになるという子が多い。

                       
中略

まずは理科に興味を持つ子が増えれば、裾野が広がって日本全体の底上げにもなります。資源も食糧もない日本が、世界と闘っていくためには、私はサイエンスしかないと思っているんですよ。








    第4章 社会が学校を育てるーYSFHの応援団


             
 東芝の場合  「照明のサイエンス」


色は人間の脳が作り出したもの。「絶対色」というのは存在しないんですよ。明るさの感覚も環境によって左右されます。人の脳がいかにいいかげんか。でもそういうことを踏まえていないと、照明は設計できません。



  照明を語るには、人の生活を考えなければなりません。人が生まれてから、死ぬまでつきあうのが照明だからです。突き詰めていくと、物理と化学と生物と歴史と美術と古典と・・、

あらゆる勉強が必要になる。それらの勉強をおろそかにしてはいけないんですよ。理系だからといって物理だけをやるのではダメ。人間の根源的な話を知ることで、いろいろなヒントが見えてくるのです。

一点突破という考え方もありますが、専門性を高めるだけの山は、おそらく競争力がありません。
専門以外のことをどうやって自分の山に統合させていくか。それが今の世の中には必要です。

そのためには、高校時代からクセをつけないと遅い。大学で専門的なことを学び始めてからでは遅いんです。

                       中略

サイエンスというのは「物の理」です。どんな問題であったとしても、結局突き詰めていくと
「物理的な話」「人」しか残らない。すべては、このふたつに集約されます。そこには、理系も文系もなく、人の生活しかありません。そこが、すごく重要なんです。だから何度も言うように、いろいろな視点を持ってほしい。






    
日産自動車の場合 「燃料電池自動車を知り、本物を体感する」


最初のテーマは、
地球環境問題について。公害などから始まった環境問題は、地球規模の温暖化問題へと広がってきた。二酸化炭素排出量の増加と共に、温暖化は進んでいる。

だが、その本質をたどると、行き着くところはエネルギー問題だ。有限な化石燃料に代わって、エネルギーを多様化するしかない。これからの社会で
FCV(燃料電池車)がなぜ必要なのか、その理由が解説された。そして話は、FCVの構造に移る。



講義の後は、場所を移して実験が始まった。生徒に
「水分解式燃料電池キットカー」が手渡される。ここで指導に立ったのは、同社の環境・安全技術渉外部の畑山啓だ。

「やっぱり、自分でできる実験は楽しいですね」手を動かしながら、男子生徒が言う。
作業机の間を、日産の技術者5〜6人が声をかけながら助言して回っている。積極的な高校生を見守りながら、技術者たちも楽しんでいる様子が伝わってくる。

うまくいかない生徒には、日産の技術者が声をかけてヒントを与えている。和気あいあいとした自由な空気の中、実験が進んでいった。

技術者とのやりとりを通じて次第に生徒の発想が解き放たれ、複数のソーラーパネルを連結したり、電池ボックスを追加してパワーアップをはかるグループも現れ、実験は多様な広がりを見せた。



最後のプログラムは、
本物のFCVへの試乗だった。


この日、YSFHに用意されたのは2台のFCV。1台は日産自動車のものだが、もう1台は横浜市が日産からリースし、日頃から環境教育に使っているものだ。そのため、横浜市の職員も授業を見守っていた。

日産のプロドライバーが運転する自動車に、数人ずつ乗り込んで試乗する。

「めっちゃ静か!」
「スタートするときの加速にびっくりした」

最寄り駅の周囲、たった3分間のドライブだが、生徒達は目を輝かせながら感想を口にしていた。講義で学んだ知識と、自らの手を動かす実験と、本物の試乗体験。この3つが混ざり合い、
知的好奇心にスイッチが入っている。楽しさや気づきを得た瞬間の若者は、なんといきいきしているのだろう。





         
先生の好奇心が、生徒を惹きつける


今回のサイエンスリテラシーの授業は、開校後すぐに学校側から依頼があり、日産自動車は最初の提案以来、数ヶ月かけて準備をしてきた。優秀な生徒たちが集まる学校なので、実際の講義内容は大学生向けと同じものを使用したという。

「実際に教えてみて、非常に
レスポンスのよい子供たちだと思いましたね。中学高校というと思春期の真っ只中。照れがあってなかなか人の話を聞けない年齢だと思うのですが、頭の回転の速さと興味の持ち方で、そういうものを超えた反応が返ってきた。

講義中にも、終わってからの感想にも、ずいぶん専門的な質問が出てきました。サイエンスの学校なので、
テクニカルな部分を中心に話したのですが、それだけ興味を持ってもらえたことがうれしかったです」 (山梨)


さまざまな学校を回る彼らが、YSFHに際立って感じたこと。それは、準備段階からの教員の熱心さだったと畑山と山梨が述懐する。


  「4回もの打ち合わせをしてから、本番を迎えました。ほかの学校と比べるわけではないのですが、学校によっては手が回らないのか、”適当にやっておいて。あとはよろしく”というところもある。

横浜サイエンスさんは最初から非常にやる気に満ちていて、多くの具体的な希望をいただいていたので、活発な意見交換ができました。

先生も探求心が強くて、いろいろなことに興味を持っている人が多いんですね。事前の打ち合わせでは、先生方に試乗してもらおうとFCVの実車を持っていったら、生徒達までワーッと集まってきた。先生のキラキラした目が、何より生徒達を引きつけるのだと思いました」

「YSFHは、理系の学校でありながら、必ずしも理系の進路を限定はしていないことに共感しました。文系・理系のどちらに進んでもいいけれど、
すべての根幹に自然科学があり、自然科学の土台の上に人文科学や社会科学があるわけです。

子供達には夢を大きく持ってほしい。しかし単なる夢物語ではダメだと思います。いかに現実に地に足をつけたところで、夢との間にはしごをかけられるか。そこをつなぐのが,
生身の人間が汗を流し、知恵を絞ってつくりあげる科学技術だと思うんです。

将来、研究者や技術者になるという夢は、必ずしも抱かなくても結構。ただし、どんな方向に向かうにせよ、
自然科学をベースとして抑えた上で、夢に向かってほしい。そうすれば、現実により近づきますから。

その中で、われわれ日産がやっていることが、彼らの心に刻まれていて、ひとつのきっかけになれば、ありがたいですね」



次の世代をしっかり育てたい。それは、ある程度の年齢になり、社会での経験を積んできた大人ならば誰もが持つ純粋な願いだと思う。彼らは、自分が得てきたありったけの力で、生徒達に本気でぶつかり、技術や思いを伝えようとしていた。










  5章  サイエンスを学ぶのは私たちーYSFHの生徒たち



                
生徒たちのリアルな日常



初めてYSFHを訪れたのは、今年(2010年)のはじめ。門の前で少しの間たじろいだことを思い出す。ピカピカの校舎が、巨大な要塞のように見えたからだ。グレーの校舎に、超エリート校の固苦しいイメージを重ねていた。勝手なものだ。

緊張しつつ放課後の校内に入ると、一人の生徒とすれ違った。

            「こんにちはぁ!」

思いがけない朗らかな声。グレーだった世界が、生徒の登場で一気にカラフルに変わる。若いエネルギーはパンチがあるなあ。最近の高校生ってこんなに無邪気だっけ。そんなことを思っていると、また別の生徒が通り過ぎていった。

            
「こんにちは!」



                チャイムのない学校



天文部に所属する○君は、小さい頃から理科好き。この学校を志したのは、「こんな学校ができるよ」という母親のアドバイスがきっかけだった。

「最初はその気がなかったのですが、自分で調べていくうちにだんだん興味が湧いてきて、いつの間にか自分にはこの学校しかないと思うようになりました。それ以外はもう考えられなくなったんです。
自然に導かれてきたような気がします。」


この学校に入って大変だったこと、戸惑ったことは?

95分授業には、なれるまで時間がかかりました。それにノーチャイムだから、ここでは自分で時計を見て行動しないといけないんです。そういうことも最初はいちいち大変でしたね」

確かに、○君の言う通り、この学校はチャイムが鳴らない。そのため生徒達には、自分を律した行動が求められる。昼休みにわいわい騒いでいても、時間になるとそれぞれがサーッと各教室に戻っていく。些細なことに思えるが、「チャイム任せ」の学校とは、個人の気持ちの持ちようが違うのだろう。


天文部長の○君は、物腰が落ち着いており、話しが理路整然としてわかりやすい。人に伝えたり、教えたりすることに向いている。

「実は、テスト前になると、友達に勉強を教えることがあります。”教えて”と言われるからそうしているのですが、教えると自分でも覚えられるんですよ。逆に教えられないのは、わかっていないということ。やってみてそれを実感したので、頼まれれば快く引き受けます。

最近では教えてもらうことも増えてきました。友達から教えてもらうと、理解の仕方が違うんですね。質問もどんどんできるし、理解が進むんです。」


すると、傍で黙って聞いていた天文部顧問の相川が、口をはさんだ。「彼はときどき天文部でも、黒板に向かいながら1年生に地学を教えていますよ。先輩がこういう行動を見せていると、後輩も見習って引き継いでいくでしょう。それが何年も重なっていき、うちの学校の
伝統になっていけばいいですねえ」


クラスメイト同士で勉強を教え合う。先輩が後輩に勉強を教える。その後輩がまた後輩に教えていく。なんと理想的な伝統だろうか。


                       中略


              
最期に、YSFHの学校自慢をぜひ。


「先生がおもしろいです。授業を受けていても、すごいなと思うことが多い。そういう先生はどこか
少し変なんですね。中学のころもすごい先生はいましたが、普通の生徒には嫌がられていました。

でもこの学校は
変な先生ばかりなので、そういうことを超えています。ただの先生じゃない人ばかり。個性的でおもしろい。先生がおもしろいと、こっちのやる気も出てきます。」











       
座談会  自分の居場所がある学校−保護者に聞く



開校したばかりの実績のない学校への入学は、保護者にとっても大きな「賭け」だろう。YSFHの生徒達はおしなべて成績がよいが、成績がよい子の親ならなおのこと、「安全」で「確実」な路線へ進んでほしいと願うのが、親心ではないのか。


それでもあえて、YSFHを選んだのはなぜなのか。YSFHの教育をどのように見ているのか−。



   「実は主人の転勤で、急に横浜に来ることになりました。別の土地で、高校の試験にパスしたばかりだったので、本人は泣きながら受験をやり直すことになったのです。この学校のことは、インターネットで見つけて、最初に私が見学に来ました。

もう説明会も終わっていたので事情を話して個人的に見学をさせてもらったんですよ。設備を見たり、先生方とお話ししたりするうち、こんなに
一人ひとりの生徒を大切にしてくれる学校はないと思いました。





     
高校に入ってから、お子さんの目に見える変化はありますか?


  中学の時には毎日ためいきばかりだったのに、歌に変わりました。ものすごく大きな声で、家中に響くように歌を歌うんです。

C  うちは、より積極的になったことと、先生の話をよくしていますね。「先生が今日こういうことを教えてくれた」とか、「先生と一緒に何をした」とか。 

  変わったなあと思うのは、すべての発想がサイエンスになったこと。パンにカビが生えたことひとつとっても、食卓の調味料でも、すべてサイエンスで理屈を語るんです。こちらにしてみれば、化学式を言われてもよくわからないし、何だか頭が上がりません。

  うちは、友達の話しもよくしています。「あの子はすごいんだ」とか「あの子はこんな感じ」とか。いろいろなお子さんがいて、何かにみんな熱中している。みんな違っているんだけど、自分を隠さなくていい。自分の居場所がある。子供を見ていると、そんな雰囲気を感じます。



 
中学高校のころって、人と同じじゃないと不安になるようなところがありますよね。


  そうですよね。うちの息子もそういうところがあると思っていたのですが、いまは違うんです。率先して、ちょっと変わったことをやっている。自分を受け入れてくれる場所で安心すると、人は自由になるのかもしれません。






                   
 おわりに



        YSFHに通い始めたのは、今年2月のことだった。

「横浜に新しくできたサイエンスの高校があるんです。優秀な生徒が集まった市立の進学校なのですが、取材してもらえませんか」

この話を持ちかけられたとき、正直なところ少し躊躇した。私は教育の専門家ではないし、サイエンスの頭脳も持ち合わせてもいない。それに、中学から短大までエスカレーター式の私立校に通ったため、大学受験の経験もない。

およそ接点など見つけられない自分が、進学校の先生や生徒の思いを理解できるのか。

しかし、たとえ同じ経験をしたとしても、一人ひとり感じ方は違うだろう。人の心を理解するなど、簡単ではないのだ。ならば自身の経験など関係なく、ここに関わってみよう。

そう思ったのは、YSFHが
おもしろそうだったからだ。生徒も先生も「また会いたい」と思う人ばかりだった。

私にできるのは、聞いて、話して、感じて、伝えること。だから、たくさんの人にお会いした。学校を立ち上げた人、運営する人、教える先生、サポートする企業、保護者、そして生徒たち。

すべての人に共通していたのは、この新しい学校が好きで、大切に育てようとしていることだった。熱い想いが、それぞれの口からあふれ出た。

              
 「こんな学校に入りたかった」

周囲の大人は、自分の夢を重ね合わせながら生徒たちを見守っていた。「子どもが幸せになる学校」というタイトルをつけたが、実は
大人の方がYSFHに関わることで、幸せを感じているのかもしれない。



幸せかどうかを決めるのは、実は学校でも周囲でもなく自分自身だ。ただ、この先大人になって、現実の厳しさに向き合うときにも、
「ここが原点」と立ち戻れる場所。YSFHは、そんな学校だと思う。



学び続けたいと思っているかつての高校生、楽しさも苦しさも無我夢中で味わっている現役高校生、そして、夢を持って学校に通いたいと願う未来の高校生に、この本を手にとっていただければ幸いです。




















 vol. 18





             時代を変えた科学者の名言

 東京理科大学学長  横浜サイエンスフロンティア高校スーパーアドバイザー

           
藤嶋 昭(ふじしま あきら)  編書
 

    新刊 平成23年 4月1日    東京書籍  定価 1050円(内税) 




    

  
表             裏



偉大な科学者108人を似顔絵で紹介しながら彼らの発想力、想像力をコンパクトにまとめてあります。教科書で知らなかった顔がわかり、とても興味深い内容となっています。






前書きから

 世の中が便利になってきています。特に最近の科学技術の進歩の速さには驚かれされます。コンピューターの進歩、インターネットの普及、宇宙の不思議はもちろん、我々の体のなりたち、あるいは動物・植物のことも、どんどんベールがはがされ、よくわかるようになってきています。

科学の歴史の上で活躍した人を100人選び、時代順にたどってみると面白いのではないか、またその科学者が残してくれた名言や公式などをまとめてみると、現代に生きる我々にも心にしみるものが多いのではないか、そういう思いでこの本を編集しました。

結果的には108人の人物を選ぶことになりました。ギリシアから始まり現在も活躍している人まで、その人の似顔絵とともに、その略歴と残してくれた言葉をまとめてあります。この108人の選び方は、中学校や高等学校での数学や理科の教科書に出ている人を中心に、例えばボルトやアンペアなどの単位として残っている人も選びました。

これら科学者の方々の選び方は、私の個人的判断によりますので、この人物やあの人物も入れるべきではないかと思う読者も多いと思います。私自身も、この科学者も取り上げるべきではなかったか・・・と今も悩んでいます。

私自身この本を編集していて、人類の発展の歴史を2500年にわたって科学の面から見直してみるチャンスにもなり、楽しい時間をもつことができました。

時代を変えた科学者たちの、発想力と創造力をどうぞお楽しみください。



KAST(神奈川科学技術アカデミーにて)








   ファイル81   アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)

 A=X+Y+Z。Aは成功、Xは仕事、Yは遊び、Zは沈黙である。

 理論物理学者。ドイツのウルムに生まれる。学校にはなじめなかったが、9歳でピタゴラスの定理、12歳でユークリッド幾何学に出会う。

スイスのチューリッヒ連邦工科大学を卒業し、ベルンの特許局に就職。1905年、特殊相対性理論、光量子仮説などの重要な三つの論文を発表。1921年、光電効果の理論的解明によりノーベル物理学賞を受賞。米国に亡命し、プリンストン高等研究所で統一場理論の研究を続けた。

戦後は積極的に平和活動をおこない、親日家としても知られた。


             メッセージ (アインシュタイン)

◎自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう。 

◎人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。

◎過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。
 大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことです。

◎成功という理想は、そろそろ奉仕という理想に、取って替わられてしかるべき時だ。







   ファイル99  
湯川秀樹(ゆかわ ひでき) (1907〜1981)


 一日生きることは、一歩進むことでありたい。

理論物理学者。東京に生まれ京都に育つ。京都帝国大学理学部物理学科を卒業し大阪帝国大学講師を経て、京大教授、中間子の存在を予言し、素粒子論展開の契機を作った。

1943年 文化勲章、1949年、42歳の時日本人としてはじめてノーベル賞受賞(物理学賞)。オッペンハイマーに客員教授として招かれた米国の研究所でアインシュタインと出会い、以後、核兵器廃絶に向けた平和運動に貢献した。



               メッセージ (湯川秀樹)


◎幾何学によって、私は考えることの喜びを教えられた。

◎現実はその根底において、常に調和し簡単な法則にしたがって動いている。
 達人のみがそれを洞察する。

◎科学がすべてであると思っている人は、科学者として未熟である。

◎自然は曲線を創り、人間は直線を創る。

◎独創的なものは、はじめは少数派にきまっている。











   ファイル105  野依良治(のより りょうじ) (1938〜    )


  研究は美しくなければならない。


有機化学者。兵庫県に生まれる。京都大学工学部工業化学科、同大学院修士課程を経て、同大助手。29歳で名古屋大学理学部助教授、米国ハーバード大学留学を経て、33歳で同大教授。現在、独立行政法人・理化学研究所理事長。

有機合成の分野において、「BINAP(バイナップ)」という左右の物質を作り分けることのできる触媒を完成させ、様々な工業製品や医薬品開発への道を拓いた。

2001年、ノーベル化学賞を受賞。


                   メッセージ (野依良治)


◎常に一流のことをしないといけない。

◎世界の頭脳になろう。

◎人間には英知があるのだから、英知に基づく結果を出さなければならない。

◎研究成果を応用して社会に貢献しなければ。

◎規定の価値観の中でやっていたらつまらない。異端でありたい。








 
あとがき


この小さな本を、広くいろいろな方々に読んでいただくことができれば幸いです。特に若い研究者、あるいはこれから理系の道に進もうと考えている学生諸君の手元においていただくことができれば幸いです。

また、中学校や高等学校の数学や理科の先生方に読んでいただき、授業の折の参考にしていただけると良いと思っています。

原稿執筆中に、この本の内容についてお話ししたところ、いろいろな方から貴重なご意見や資料をいただくことができました。特に東京工業大学名誉教授の山本明夫先生には先生がご執筆中のご予稿を読ませていただき、化学者、特にラボアジェについて教えていただきました。
 
横浜サイエンスフロンティア高校の常任特別顧問であられる東京大学名誉教授の和田昭允(あきよし)先生には、理系偉人の名言を英文とともにいくつも教えていただきました。厚くお礼申し上げます。
    
                         2011年 3月10日   藤嶋 昭









vol.19



              やれば、できる。

        小柴 昌俊(こしば まさとし)  

     東京大学 特別栄誉教授  ノーベル物理学賞受賞     

           新潮文庫 362円(外税)









                  はじめに ー 受賞の夜に




10月8日の夕方6時20分でした。例年のように、もうすっかり顔なじみの新聞記者さんたちと自宅で雑談をしていますと、部屋の電話がなりましてね。

はじめは女房が出て、笑顔でぼくに代わってくれました。受話器に耳を当てると穏やかな英語が聞こえてきました。
ノーベル財団の理事長からでした。

ぼくは思わず「ザッツ・ベリーナイス」と応じ、気がついたら「サンキュー・ベリーマッチ」と何度も繰り返していました。

電話を切った瞬間、30人はいた報道の方々から大きな拍手をいただきましてね。そのときの、感想は
「ついに、来たか!」というものでした。

10月のこの時期は、ぼくの家で新聞記者の方々と、来るか来ないかわからない電話を待つのがずっと恒例になっていました。

1988年から毎年、15回もぼくの家に通ってくれた記者さんも多くいました。「もう、こういう騒ぎは今年で終わるんだな・・・・」と嬉しいような寂しいような、そんな不思議な感情が拍手の中で浮かんできましたよ。

「今年のノーベル賞は恐らくー」という噂はちらほら聞こえていたんですけど、過度な期待は持たないようにしていました。正式な発表があるまでは気を引き締めておかなければならないという教訓が、かってありました。


10月のこの日に、記者さんたちの集まりが始まることになったのは
14年前からです。その最初の年、88年には特別な思いがありました。「今年のノーベル物理学賞はニュートリノらしい」という噂がその時も流れ、ぼくの耳にも入ってきていたわけです。

江崎玲於奈(れおな)先生が新聞記者に話したらしいということも聴きました。江崎先生には受賞者ならではの特別の情報網があるに違いないから、日本人受賞者が出ることは確実だろうと、科学マスコミはにわかにいろめきたったようでした。

そしてあっという間に、
「ニュートリノでの受賞なら小柴だろう」ということになってしまいました。ニュートリノでの受賞というのは結果的には事実だったので、江崎先生のコメントは正しかったわけですが・・・・。

その年の発表の日、ぼくの家に20人くらいの報道陣がやってきました。それで女房が気を利かせてお寿司の出前を取ったんです。30人前くらいも頼んだでしょうか。こっちはダメでもともと。お寿司でもつまみながら記者さんたちと談笑できればと考えたんですが、みなさん気を遣ってか誰もお寿司に手を伸ばそうとしない。

発表があるまではと、きっと我慢してくれてたと思うんですけど、じっとお茶をすすりながら、黙って待っていてくれるわけです。ちょうど夕食時でしたから、お腹が減っていたんではないかと、こちらが要らぬ心配をしてしまいました。

ひたすら待ち続け、午後6時を回ってしまった頃、記者さんたちの洋服のあたりで一斉にベルが鳴りました。音の正体は、残念ながらぼくの自宅の電話ではなくてポケットベルです。当時は携帯電話などないですから、記者さん達は皆ポケットベルを持たされていたんですね。あの呼び出し音のうるささにはびっくりしました。

記者の一人が社に電話を入れると、ノーベル物理学賞はアメリカのレーダーマン、シュワルツ、そしてシュタインバーガーの3人に決まったというのです。受賞理由は「ニュートリノ発見による素粒子の構造研究の業績」でした。

もちろんがっかりはしましたが、そういった受賞理由ならば、ぼくは入らないなと思いました。「ぼくが受賞するなら、ニュートリノ天文学の創始という理由でしょう」そういうことを、最後に記者の方たちに話した記憶があります。

皆さん、ばつがわるそうな感じで、肩を落として帰路につきました。結局、30人前のお寿司はほとんど手付かずで残ってしまいまして、ご近所に配って食べていただきました。


なぜこのような対照的な二つのことをお話ししたかといいますと、ノーベル賞などという素晴らしい賞を頂くことになると、世間では、その人のことを、生まれながらの天才と誤解したり、下手したら神様扱いしかねないからです。

でもぼくは、神童でも天才でもありませんでした。子どもの頃は通信簿で甲乙丙の「丙」をもらうような、いたずらっ子でしたし、軍人の父が戦後公職追放されると、学業よりアルバイトを優先させてしまうような、今でもどこかにいそうな、普通の学生でした。

もし、違うところがあったとすると、根っからの
負けず嫌いであったこと、そして恩師 朝永振一郎先生に代表されるように、たくさんの素晴らしい師、友人、また弟子たちと巡り会えたことだと思います。

もちろん、誰でもノーベル賞を頂くことができるわけではありませんが、人生には、ノーベル賞より大切なことがたくさんあります。

ぼくにとっては、多くの素晴らしい友人たちとの出会いでした。ノーベル賞は、その結果としてもらえたものだと思っています。

これからぼくは自分がどんな風に生きてきたかについてお話しします。そして、読者の方が読み終えられたときに、
「ぼくでも、やれば、できるんじゃないかな」と思っていただけたら、とても嬉しく思います。





                
第2章 成績どん底の大学時代


東大に入学した頃、ようやく父親が日本敗戦後、帰国しました。しかしGHQの指示とやらで仕事に就くことができず、横須賀の家でのんびりしているしかありませんでした。

ということは、ぼくはなんとか大学に入れたとはいえ、もっともっと働かなくてはいけないということです。養い口が一人増えることになったわけですから。

自分なりに精一杯受験勉強をやって難関を突破し、今度こそ腰を据えて勉強しようと思っていたのですが、またしても、
アルバイト、アルバイトの日々が始まりました。

週のうち大学の講義を聴くのはよくて1日半くらいで、あとの時間はすべてアルバイトです。今思い返してもよく働いたものです。

さて、東大にはいるということは一高の寮を出ていくということです。だから下宿代もかせがなくてはならず、しかし本郷界隈の下宿は家賃が高くて住めません。それで家庭教師でも住み込みのものを探しました。当時は
住み込み家庭教師なんてものが、割と当たり前だったんですね。

なんとか目蒲線の奥沢というところに部屋付きの家庭教師の口が見つかりまして、中学一年生の男の子と、ときどき高校生のお姉さんに勉強を教えました。他の兄弟もついでに教えてもらえるーこれが住み込み家庭教師を雇う側の利点なんですね。家族ぐるみで付き合って勉強を教えるという感じです。

それで一応、食事の心配はなくなったわけですが、あの頃は日本全体が貧しくて困っていた時代だったので、豪華な食事を期待できるわけがありません。

夜食によく出してもらったのが塩抜きのすいとんでした。それでも有り難かったですよ。熱々で美味しくてね。
「熱いがご馳走」とはよく言ったものです。

そんな状態ですから、大学の成績もいまひとつ。教えることは二度学ぶことだと言いますが、家庭教師にはたっぷり時間を使っても、東大の勉強はあまりできませんでした。

その結果、
「ぼくは物理をビリで出た」ということになってしまったのです。






                
「物理をビリで出た」の真相


2002年の3月、
東京大学の卒業式に呼ばれ、祝辞を述べる機会がありました。ぼくは折に触れて、自分が「物理をビリで出た」と行って来ました。ただ、東大の教授を定年まで勤めましたので、まさかビリではないだろうと、信じてくれない人が大部分でした。

そこで良いチャンスだと思い、自分の
卒業時の成績表をスクリーンに映すことにしました。16教科のうち優は「物理学実験第一」と「物理学実験第二」の二つだけ。あとは良が10個で可が4個。やはり堂々と人様の前に掲げられるようなものではありませんでした。

なぜそんなことをしたかと言いますと、まず成績が良くなかった卒業生を励ましたかったということ。上がいれば当然下もいるわけで、まだ先は長い、がっかりするなよ、という意味です。それから、成績の良い卒業生にも「いい気になるなよ」と釘を刺したかった。人間の真価は大学の中ではなく、社会にでたときに問われるものなのですから。

学業成績は教えられたことを理解する、いわば
「受動的認識」です。成績の良いものが官僚になり、あるいは教授になりはしたものの、海外から文献やら理論を輸入するだけに終始してしまう、そういうことがよくあります。受動的認識の弊害にほかならず、実は成績優秀者が陥りやすいところでもあるんです。

もはやそれは、世界では通用しなくなっている。世界では、自ら考えて解決法を模索するという
動的認識が大きくものを言うんです。ぼくはスピーチの最初でこう話しました。

「あなた方が今日まで勉強してきたのは受動的主客分離型の認識と分類できるわけです。これから実社会に出て実務に就く人も、大学院に入って研究に従事する人も、これまでと全く異なる事態、
能動的主客分離型認識に直面する事を覚悟する必要があります。これまでの成績が良かったから、これからも大丈夫だろうというのは通用しません。

今の日本は梅雨時の曇天のように重い暗いムードに包まれていますね。ぼくや田中耕一さんのノーベル賞受賞を「自信を喪失している日本人を励ますものだった」なんて言う人がいましたけれど、どうして喪失などというのかわからない。私たちはもっと
自信を持つべきだと思います。

経済や外交、教育など、確かに深刻な問題は多いけれども、暗いほうばかりを向いていたら決して状況は良くならない。やればできるんです。そんなようなニュアンスも少し込めたつもりでした。

父兄も交えていっぱいの講堂は、卒業式としては異例のリラックスムードとなりました。ぼくの成績表を見た学生達はゲタゲタ笑っていましたが、学校の成績が一生を決めてしまうことなんてない、成績が悪くたってやりたいことはやれるんだ、というぼくの考えを少しは理解してくれたようでした。







              
   大阪市立大への武者修行



大学院の修士課程に入り、いよいよ研究者として頑張らなくてはいけないと、腹がすわりました。しかし、ほとんどビリで物理学科を卒業したわけですから、物理の研究をするための土台が今一つだなと、自分でも感じていたのです。

それで、なんとかしようと他の大学へ武者修行に出ることにしました。理論物理学者として尊敬していた
南部陽一郎先生(シカゴ大学名誉教授)が、開校したばかりの大阪市立大で理論物理研究室を開いたんです。

南部先生は東大の大先輩で、物理をやる人間には憧れの存在でしたが、面識があるわけでもないので、飛び込み同然で大阪に乗り込みました。なんとかお願いして、首を縦に振っていただき、ぼくは研究室に寝泊まりして勉強することにしました。

1ヶ月間、研究室の大机に貸し布団を敷いて、南部先生のセミナーに参加したのです。それだけでなく物理の輪講をやったり、顔を出せるところはどこにでも出して、とにかく少しでも多く、他の先生方の考えを理解しようと必死で努めました。

そういった努力が少しは周りからみとめられたのか、東京へ戻ってきたぼくに、先輩の藤本陽一さん(早稲田大学名誉教授)が、声を掛けてくれました。「一緒に
原子核乾板の実験をやってみないか」そういうお誘いでした。

もちろん快諾しました。ぼくにとって初めての大きな実験です。この実験計画に、山内先生はなんと5万円も寄付してくださいました。当時の5万円といえば大金です。なにしろぼくの1年分の奨学金よりも多いんですから。やる気が漲(みなぎ)ってくる思いがしました。

そして、藤本さんと二人で、原子核乾板(素粒子の飛跡検出器)を使った宇宙線の実験を始めることになったのです。いよいよ、ぼくの研究者生活が、本格的にスタートしたというわけです。









          
       この世に摩擦がなかったら


研究者生活はスタートしたものの、相変わらずお金はなく、アルバイトは続けざるを得ませんでした。東大の大学院にはいろいろなところから講師のオファーがくるんです。先生や先輩から「小柴君、ちょっと行ってみないか」という感じで仕事が回ってくる。それを手当たり次第に引き受けることにしました。

地元の横須賀にも先生として通ったんです。今は鎌倉にある私学の
栄光学園中学生に物理を教えましてね。昔から子どもと遊ぶのは好きだったので、中学生の授業はとても楽しかった記憶があります。

物理の難解さを和らげようと、試験でもユニークな問題を作っていました。
「この世の中に、摩擦というものがなくなったらどうなるのか。記せ」なんていう設問です。この問題がどこが面白いかというと、計算問題や用語を正しく答える設問とは違い、生徒が自分でいろいろと頭をひねることができるからです。

ぼくにしても様々な答えが返ってくることからしてまず楽しいし、正解不正解は別にして、「摩擦がなくなるって・・・」なんてことを一所懸命に考えるというプロセスこそが生徒諸君には貴重だと思ったわけです。


ちなみに、この設問の正解は
「白紙答案」。摩擦がなければ鉛筆の先が滑って紙に文字は書けないからです。正解した生徒は3人くらいでしたが、ひょっとするとまるで分からずに途方に暮れて白紙で出した生徒も交じっていたかもしれませんね。

でもそれでいいんです。物理ってユニークで面白いんだな、無味乾燥なペーパーテストだけじゃないんだな、って思ってくれることが、勉強が好きになる第1歩だからです。

世界の科学界では「日本は基礎科学が弱い」というイメージがあったり、今の子供達には理数系離れが顕著に起こっていると言われたりしていますが、問題は科学自体の小難しさではないと思うんです。


例えば中学生は、数学が好きだから数学を教えてくれる先生を好きになるということじゃない。逆です。数学の先生に魅力があるから数学という教科に興味を持つんです。それが小、中学生です。いや高校生だってそうです。ぼくもそうでした。

だから一般に言われている理系離れが事実なら、それは理科の先生の責任なんですよ。ぼくが先生だったら、まず子供たちと一緒になって遊びますね。遊びながら子どもの興味がどういうところにあるのかを考えますよ。

現状の教育システムでは、どうすればいいのでしょう。一番重要な時期は中学生だと思います。この頃に「科学なんてつまんない」と思うと、もう一生、科学に背をむけてしまうことになる。中学生にこそ、
科学は自分でやって、いろいろと考えてみる勉強なんだということをしっかり教えてあげたいですね。教室で一方的に教わるだけでなく、自分で実験してみると科学は絶対に面白い。


具体的な提案としては、最初の授業で子供たちに理科が好きか嫌いかのアンケートに答えてもらいます。5段階くらいのアンケートです。そして授業を続け、半年後にまた同じアンケートを行う。そこで理科好きが増えていれば、その先生は良い先生ということになります。

「理科好きポイント」を多く集めた先生には文部科学省からボーナスを支給するんです。全国で1000人くらいの理科の先生に一人100万円くらいのご褒美を渡す。将来の日本のことを考えれば、たいした金額ではないはずです。

もうひとつのプランは、教員免許をもっていなくとも理科をやることが心底好きな人間に教えさせる制度を創ること。たとえば奨学金をもらっている大学院生に半年くらいのスパンで理科の授業を受け持ってもらうとか。

実は、栄光学園で講師をやったぼくが、まさにその例なんですけどね。その栄光学園には1年半くらい通いました。なぜか、
「ロクさん」がぼくのニックネームでした。なんでも、国語の教科書に載っていた小説の登場人物にロクさんというのがいて、奇行の持ち主だったからだそうです。

実は、命名の理由は、ノーベル賞受賞後の新聞記事で知ったんですね。あだ名の由来なんてものは、決して教壇に立っている側の人間の耳には入ってこないものですから。

余談ですが、高校時代、大学時代から、ぼくは子供たちと遊ぶのが好きで、近所の子どもたちをよく写生やピクニックに連れて行ったりしたもんです。

つい先日、ノーベル賞受賞のお祝いの電話がかかってきたんですが、なんと60年前に幼稚園児だった元・女の子からだったんですね。「おめでとうございます。あの頃は親切にしていただいて、ありがとうございました。なつかしいですね」なんて話してくれたんです。












                    
夢のアメリカ行き



                       


1953年 8月  26歳の時横浜から氷川丸に乗り込んで、11日かかってシアトルに着く。シカゴを経由してロチェスターに着き、ロチェスター大学で勉強を始める。ロチェスターに着いて一ヶ月後、学位論文に着手するための口頭試問があり、無事にパスして「原子核乾板による宇宙線の実験」を研究課題にする。



キャプロン先生という素晴らしい担当教官の指導もあって、ぼくはとうとう学位を取ることができました。
「宇宙線中の超高エネルギー現象」というタイトルの論文でした。

ロチェスター大にやってきてから、学位を取るまでにかかった時間はわずか
1年8ヶ月。この取得スピードは、ロチェスター大の最短記録ということでした。

実際、研究漬けの1年8ヶ月で、学生が集うパーティーなどにも全く出ませんでした。ひたすら短距離走のような集中力で頑張り、念願の学位を取り、ロチェスター大にやってきた甲斐があったと充実感に満ちていたとき、ついに他の大学から誘いの声が掛かりました。


いの一番に誘いを掛けてくれたのは、
シカゴ大のシャイン教授でした。シャイン教授は当時の宇宙線研究のボス的存在で、シカゴ大へ移籍して君の研究を継続しないか、とわざわざ言ってくれました。

俸給は、年に6000ドル。月にならせば、500ドルです。初めてアメリカ大陸の土を踏んだ1年半前のことを思い起こすと、夢のような話でした。ぼくはお世話になったキャプロン先生に見送られながら、荷物をまとめて早速シカゴへと移りました。

シカゴでの3年間はとても快適でした。ぼくの人生の中で、一番自由気ままな時代だったかもしれません。お金に困ることもなく、勉強以外の趣味を楽しむゆとりも初めて持てたのですから。

大きなアパートを借りて、車もクライスラーを買いました。と言っても、クライスラーはドライブを楽しむために買ったというより、宇宙線観測のために打ち上げた気球を追うのが目的だったのですが。

その時代は、レコードもLP盤が出始めるようになっていて、子供の頃を思い出し、心を躍らせながら買い込んでは、まさに聴き浸りましたね。シカゴ交響楽団という全米でも五本の指に入るオーケストラのクラシック・コンサートにも出掛けましたし、時にはニューオリンズまでジャズを聴きにいったりもしたのです。

とにかく学位を取っているから生活費の心配はないし、シャイン教授はとても闊達(かったつ)な人で、自由に研究をやらせてくれました。

当時、一番好きだったことと言えば、クラシック音楽のレコードを聴きながら、缶ビールを飲むことでしたね。空き缶を台所の床にきれいに並べていったら、すっかり埋め尽くされてしまった、なんてこともありました。







                
分からないことは専門家に聴け



シカゴ大での生活が3年あまり経った頃、
「宇宙線はどういう元素構成をしているのか」を調べた論文を完成させました。それ以前に、「宇宙の元素の存在比はどうなっているのか」という論文が、他の先生の研究で発表されていて、その論文と比べてみると、ぼくの実験結果とは違うところが2ヶ所ほどあった。ぼくの測った宇宙線は重い元素が多かったんです。

このことに疑問を持ったぼくは、自分一人の頭でこねくり回すより、専門家に意見を聴こうと思いました。幸い、シカゴ大にはインド人の
チャンドラセカール先生という天体物理学の大権威がいて、思い切って、彼の研究室まで教わりに出かけました。
                         
「星にはいろいろなタイプがあって、違うタイプの星は元素組成も違ってくる。重い元素が多いのは、おそらく比較的若いタイプの星だろう」 そういったことを、チャンドラセカール先生から助言いただいたのです。

ぼくは、分からないことがあると、必ず専門家に意見を聴きに行くんです。ただ、なんでもかんでも聴けばいいというんじゃない。聴く前に、左から右から、上から下から、内から外からと、
とことん考えるんです。

自分なりに時間をかけて考えたうえで「分からない」と思ったことを専門家に聴くと、たとえ目に見えた成果がなくても、すごく良い勉強になるものなんです。思えば、大阪市立大へ南部先生を慕って武者修行に出かけた動機も同じようなことです。

チャンドラセカール先生に教わったことがきっかけで、ぼくは星に関する勉強を始めました。そのおかげで、書き上げた論文の中に、
超新星の話を入れておくことができたのです。

チャンドラセカール先生に教わりにいった経験が、40年以上後のぼくのノーベル賞受賞につながっていったことを思い返すと、ここでも人の運命や縁というのはつくづく不思議なものだと考えずにはいられません。ぼくはどこへ行っても行く先々で素晴らしい人間に巡り会っていたんだなと、返すがえす思う次第です。



シカゴでの研究生活の後、東大の中に原子核研究所というのが出来、そこの助教授として一時帰国するが、1年ほどして、シカゴ大のシャイン教授から宇宙線に関する共同研究に日本代表として参加してほしいとの要請があり、再びシカゴに戻ることになる。

しかし、シカゴに着いた翌年の1月にシャイン教授が急逝し、シャイン教授の後継者選びをすることになり、当時、原子核乾板の世界的権威だったイタリアのオッキャリーニ博士がメンバーの一人ひとりと面接をすることになる。



その結果、ぼくが責任者に指名されることになったんです。12ヶ国との共同研究で、そのリーダーを務めなければならないのですから、これは大変です。果たしてぼくに務まるどうか。

大学で、家で、とにかく目の回るような日々が続き、共同プロジェクトの解析結果は、何とかいくつかの論文にまとめることができました。大変な日々でしたが、この時の、ビッグプロジェクトを切り盛りさせられた経験が、後に
「カミオカンデ」をスタートさせる時に、大いに役立ったことは言うまでもありません。



シカゴでの生活を経て、再度日本の原子核研究所へ戻ることになる。しばらくして、東大本郷の物理教室で助教授を公募していることを知り、採用される。









                  
カミオカンデへの道



神岡鉱山
というのは、奈良時代の養老年間に黄金を算出し、時の天皇に金を献じたという言い伝えがあり、鉱山堀の最盛期に当たる昭和30年代には、良質の鉛、亜鉛が採掘され、鉱山関係者が百世帯近く住んでいたという歴史があります。

しかし、当時はすでに鉱物資源が少なくなり、一時ほどの盛況はなくなっていました。そこで、三井金属の社長に神岡鉱山を紹介してもらったんです。とうのも、神岡鉱山は、ぼくたちが考えた実験のステージとしては最適だったからです。

強固な岩盤と豊富な地下水が、今度の実験にはもってこいでした。産業的には無用の長物と化していた神岡鉱山でも、ぼくら実験屋にとってはまだまだ輝きを放つ金脈だったわけです。実験の結果、実際に
ミュー粒子が平行に18本まで来ていることが確認できたんです。ぼくたちが予想していたとおりでした。

この
「ミュー束実験」で須田君、そして戸塚洋二君が学位をものにしました。時は1960年代の終わり頃、高度経済成長の真っ只中でした。


ロシアのノボシビルスクで行われていた電子と陽電子を正面衝突させる実験、スイス・ジュネーブのセルン(ヨーロッパ合同原子核研究機関)で行われた陽子と陽子の衝突実験、ドイツ・ハンブルクのデジー(ドイツ電子シンクトロン研究所)で電子・陽電子の実験装置作成などに、東大グループ・小柴研究室が参加し、各所で次第に実績が認められるようになる。



そんな時、つくば研究学園都市・
高エネルギー物理学研究所(現在のKEK)の菅原寛孝(ひろたか)主幹から打診があったのです。

「今度、高エネルギー物理学研究所で、大統一理論の陽子崩壊に関するシンポジウムをやろうと思っているんです。しかし理論だけでは心もとないので、小柴先生に
陽子崩壊を探索する実験を考えていただきたいのです」そういった趣旨でした。

この打診は、まさに渡りに船だと思いました。学生達が、本気になって取り組める国内の実験に発展しそうな予感に満ち満ちていたからです。ぼくは、全思考を陽子崩壊実験の構想に傾けました。


 ※ 塾長注  1           陽子崩壊

            


粒子の崩壊は量子論に従って確率的に起こりますので、1033個の陽子を集めておいて1年間に1個も陽子が崩壊するのが見つからなければ陽子の寿命は1033年以上と言えます。水分子1個には水素原子2個が含まれますので、スーパーカミオカンデでは大量の水を溜めておいて、陽子が崩壊するかをじっと観測しているのです。

もし単独の陽子(水素原子核)が簡単に崩壊したら、私たちの身体はもちろん、宇宙全体も安定して存在することは不可能になります。宇宙消滅ということになります。しかし実際には陽子の寿命は、約1033年以上で宇宙の年齢、約1010よりずっと長いので今の所心配は無用です。


 


 ※ 塾長注 2             陽電子


全ての粒子には
粒子反粒子があります。陽電子とは電子の反粒子です。陽電子は電子とは逆の正の電荷をもっています。 質量、電荷の絶対値などの物理量は電子と同じです。

粒子と反粒子は顔や背格好はそっくりで、性格だけが正反対の双子のようなものです。そして、陽電子は電子と出会うと消滅してしまいます。

陽電子と電子の質量はどちらも9.1x10-31kgです。陽電子と電子が消滅するとエネルギーと質量の関係E=mcから、質量分に相当するエネルギーが光子となって放出されます。


たとえば、私たちの身近に反粒子や反粒子から作られた反物質がたくさんあったら、粒子と反粒子、物質と反物質がどんどん結合して消えていってしまいます。もしあなたが自分とそっくりの姿で、性格だけ逆の
「反自分」を見かけたらすぐに逃げてください。
                              
その人があなたに近づいてきて、あなたと握手をしたり、抱きつこうとしたら大変です。あなたにそっくりなその人とあなたは、触れた途端、一瞬のうちに消滅してしまいます。

                    



しかし安心してください。じつは私たちの身の回りには、反粒子はほとんど存在しません。しかし実験では可能で、加速器を使って真空中の一点に膨大なエネルギーを与えると、粒子と反粒子のペアがぽろっと生まれてくることがあります。

これを
対(つい)生成と呼んでいますが、一瞬のうちに粒子と反粒子は再び結合して膨大なエネルギーを放出して消えてしまいます。これを対生成に対して対消滅といいます。


ところが、超高温の初期宇宙では粒子と反粒子が同じ数生まれたと考えられています。そうであれば粒子と反粒子が対消滅を起こして宇宙は空っぽになったはずですが、実際の宇宙には粒子からできた物質が満ちあふれています。一体反粒子はどこへ消えたのでしょうか?


その鍵は、2008年10月、
益川先生小林先生のノーベル賞受賞の理由となった「CP対称性の破れ」にあります。もしCP対称性の破れが起きなかったら、宇宙は星も銀河もないただの空間になり、もちろん私たち人類を含む全ての生物は生まれてくることはなかったのです。

南部先生(同時受賞)を初めとして、益川・小林両先生の理論は、現在の素粒子物理学の根幹である標準理論を支える重要な柱になっています。CP対称性が破れていると、粒子と反粒子の性質にわずかな違いが生じて、その結果、粒子だけが多く残って反粒子が消えてしまう事態が起きるのです。ただし、どこへ消えたのかという問題は完全には解決されていません。


                   




            
  

            
   2008年10月8日(水) 産経新聞より





※ 「CP対称性の破れ」について
は次回説明します。







長くなってしまいました。ここから本文の続きです。




陽子崩壊の観察実験というのは、大きく分けて、鉄板を重ねたものを使う方法と、水を使ったものとに、分類できます。

その時、ぼくの頭に浮かんだのは
の方でした。多量の物質中のどこで起きた現象でも、またどんな方向に飛び出したとしても、一様に観察できるのは透明度の高い水の中です。それになにより水は安価だし、検出器も表面だけに配置すればいいので経済的だと考えたのです

具体的なプランとしては、神岡鉱山のようなところの地下深くに水をたくさん溜めて、四方八方から観測し続けるというものです。そういうわけで、ある晩カミオカンデのモデルになる構想図を書いてみました。

この図はわずか一晩で出来上がったのですが、それというのも、その時から20年前のシカゴ留学時代から温めていた構想でもあったからです。

当時、ボストンのMITに来ていたイタリアの
オッキャリーニ教授とは、ぼくのアパートでよくディスカッションをしていました。オッキャリーニ教授は原子核乾板の権威で、彼とビールを飲んでは、「地下にきれいな水を溜めて、それを上から眺めたらなにが見えるんだろう」というようなことを、くつろぎつつも真顔で話し合っていたんですね。


そのとき、オッキャリーニ教授とこういう話になりました。「真っ暗な岩塩坑に水を満たせば、飽和食塩水の池ができる。飽和食塩水ならば余計な菌などは発生しないから、その真っ暗な池に
光電子増倍管を下のほうにだけ向けて、下からくる光だけを観察したら、いったいなにがみえるだろう」と。

そんなような話が、ぼくの中で長い年月のうちに、どんどんと繋がっていったんですね。しかしオッキャリーニ教授との雑談の時は、光電子増倍管はとても高価だから、それを何万本も使うなんて非現実的だという結論に達したんです。それでもずっと、ぼくの頭の隅にその考えは残っていたというわけです。

このアイデアこそ、ぼくが日頃から学生達に行っている、「研究者ならば、今は駄目でもいつかは実現してやるという
研究の卵を、三つか四つ考え続けよ」というところの「卵」でした。

なぜ「卵」を温めることが大事かといいますと、世界にはいろいろな情報が溢れているから、自分がいつかはやりたいと思っている目標をいくつか持っていることが、情報の取捨選択に役立つからです。

そうすればいつか、効率よく、そしてより深く、「卵」を孵化(ふか)させることができるわけです。その「卵」が、「ミュー束実験」でお世話になっている神岡鉱山と、ついにピタリと重なりました。

強固な岩盤、綺麗で豊富な地下水。そして、ぼくたちの実験に大変好意的に接してくれる神岡の人々・・・。ついに、カミオカンデが見えてきました。









           
17万光年の彼方(かなた)からの贈り物



1970年代、当時の物理学者が最も注目していたのが、ノーベル賞受賞者のグラショウ博士が提唱していた大統一理論というものでした。

自然界には四つの力があります。
「重力」「電磁気的な力」、放射性元素が電子を放出して他の原子に変わる、その現象を支配している「弱い力」、そして、物質の芯になる原子核を一つにまとめている「強い力」の四つです。



 ※ 塾長注               四つの力

物質を分解していくと、分子になり、さらに原子になり、最終的には素粒子になります。全ての物質の基になっている素粒子には12種類あります。6種類のクォークと6種類の電子の仲間(レプトン)です。

(1)
クォーク  アップ・ダウン・チャーム・ストレンジ・トップ・ボトム
レプトン 電子・電子ニュートリノ・ミュー・ミューニュートリノ・タウ・タウニュートリノ

上の12種類の素粒子は
フェルミオン(フェルミ粒子)とよばれています。物質を構成する粒子です。物質粒子といえます。





ただ、この12種類だけだと物質はできません。素粒子どうしをくっつけたり、力を伝えたりする専門の粒子が必要になります。重力を伝える重力子・グラビトン、電気の力や磁力を伝える光子・フォトン、三つのクォークを結びつけておくグルーオン、そして、粒子の種類を変える(崩壊)力のウィーク・ボソンです。

(2)
 四つの力  伝える粒子 説明
  重力    グラビトン
      
重力は地球や太陽のような天体くらいの重いものだと強いのですが、素粒子のような軽いミクロの対象には非常に弱くて普通は無視できます。 4つの中で最も弱い力です。
 電磁気力    フォトン
    
電子と原子核を結びつけています。また、化学反応は元素の間で電子のやり取りが行われる反応ですが、これも電磁気力によって起こります。
 強い力   グルーオン
    
この力はクォークの間のみ働き、陽子や中間子がバラバラにならないような働きをしています。及ぼす力の範囲は10ー15程度ですが、4つの中では最も相互作用の強い力です。
 弱い力  ウィーク・ボソン
    
粒子の種類が変わることを「粒子が崩壊する」といいます。力が届く範囲は10ー18mと極めて小さいです。例えば中性子が陽子に変わるβ崩壊は弱い力が引き起こしています。

4つの力のうち、一番強いのが
「強い力」、その100分の「電磁気力」、さらにその1000分の1が「弱い力」の強さです。素粒子の世界での「重力」は、「弱い力」の1兆分の1以下なので
ほとんど無視できる強さです。重力は私たちや星などのマクロの世界で実感できる力です。

※ ”強い力” ”弱い力”というのは固有名詞的な言い方です。





        




この4つの力を
伝える粒子(グラビトンは未発見)はボソン(ボース粒子)といって「力」を伝える粒子です。(1)フェルミオンは物質粒子なので、その素粒子が存在する空間には他の素粒子をおくことは出来ません。(パウリの排他原理)と言います。

しかし、排他原理に従わず、同じ場所にいくらでも詰め込めるのがボソンです。例えば光の粒子(フォトン)はボソンの一種ですが、DVDやレーザーのように、光はいくらでも重ねて強くすることが出来ます。  ※ 光は粒子ですが波としての性質も持っています。








                     
 β崩壊

               

ウィークボソンは陽子の約80〜90倍の質量を持つ粒子で、前に述べた中性子の崩壊を起こす力を伝える粒子です。

中性子の崩壊をクォークで見ると、中性子の中の1つのd(ダウン)クォークがウィークボソンを放出してu(アップ)クォークに変わり、ウィークボソンは直ちに電子ニュートリノに崩壊します。ウィークボソンはあまりにも重いのであっという間に他の粒子に崩壊してしまいます。




ここから本文の続きです。



大統一理論
というのは、四つの力のうち、「電磁気的な力」、「弱い力」、「強い力」の三つをそれぞれ別個ではなく、統一的に説明する理論なんです。そのうちの「電磁気的な力」と「弱い力」は、本質的に同じ力だとして統一的に扱えることが「標準理論」としてすでに示されていました。

そこへ、「強い力」を含めようとしたから「大」が理論の前に付いているわけです。ちなみにグラショウ博士は標準理論で
ノーベル物理学賞を受賞しています。

また彼の大統一理論によれば、陽子崩壊でいちばん崩壊しやすい形式は、陽子が陽電子と中性パイ中間子に壊れるものだという。中性パイ中間子はさらに崩壊して二つのガンマ線になり更にそれらが電子・陽電子対になり、その刹那に
チェレンコフ光という青い光が出る、というわけです。

そのチェレンコフ光を観測出来れば、陽子崩壊の証明ができると思ったんですね。そして、チェレンコフ光を狙うのであれば、大きな水槽に水をたくさん蓄えて、周囲を光電子増倍管というもので覆ってしまえばキャッチできる、ということまでは想像がついていました。

光電子増倍管というのは、わずかな光の粒子を電子に変換し、電極に衝突させることで数百万倍に増幅させる光センサーです。光電子増倍管は直径1センチ以下のものから数百種類あり、パソコンのスキャナーや産業用、医療用の計測機器などの心臓部を担うもので、光技術の最先端といってもいいでしょう。

ぼくら実験屋が使う光電子増倍管は見かけは巨大な電球といった感じでしょうか。電球のガラス部分はとても透明度が高く、その分少しの光にも反応しやすくなっています。

ここで、カミオカンデという名前の由来について少し触れましょう。カミオカンデ(KAMIOKANDE)は神岡の、
KAMIOKAと、陽子や中性子といった核子の崩壊の実験を意味する英語の頭文字、NDEをくっつけた造語です。

この命名におちついたのは、地元・神岡の人々の行為が嬉しくて、もし大きな成果が出たら、歴史に名前が残るようにと考えたからなんです。実験、研究というのは長い間、じっくりと腰を据えて行う作業ですから、地元の人との人間的触れ合いがとても大切になってきます。

僕らは鉱山作業員の寮に一緒になって泊まり込み、食堂で作ってもらったお弁当を持って坑内へ入っていきました。夜になれば、作業員たちと酒盛りをしたものです。今でも食堂のおばちゃんたちとは親しくさせてもらっています。

実験屋は実験のことだけをかんがえていればいいというのは、大間違いなんですね。実験というのは、決して一人の力だけで出来るものではないのです。だから、カミオカンデの命名にも、ぼくらと神岡の人々との人間的なつながりが大きく影響したというわけです。


鉱山の奥深くに掘られたカミオカンデの設備は、巨大な円筒形で、高さ16メートル、直径15.6メートルです。地下1000メートルにある、このいわば巨大な穴ぼこに
3000トンの水を蓄えいくつもの光電子増倍管を備え付ける計画を進めていました。このうち、実質的に機能するのは1000トンの水です。

グラショウの大統一理論に基づいて計算すると、水1000トンの中の観測ならば、その中の陽子は数年で崩壊するはずでした。しかし、もし光電子増倍管のすぐそばで何かが起こった場合は、それがどれだけのエネルギーをもっているのか、どっちの方向を向いているのか判別できないので、そのために検出器の水は、光電子増倍管から2メートル離れていなければいけない

つまり1000トンの周囲を覆う2メートルの厚さの水が、別途必要となるわけです。それが水3000トン(検出に有効なのは1000トン)の理由です。


ところが多くの物理学者が注目している実験なだけあって、ぼくたちのチームだけでなく、アメリカでも陽子崩壊を観測する実験を計画していたんです。

IMBという合同チーム(カリフォルニア大アーバイン校・ミシガン大・ブルックヘブン国立研究所の共同実験)が、7000トンの水を使ってチェレンコフ光を捕まえる装置を作ったという情報が入ってきました。水の量だけを考えればカミオカンデの倍以上です

いわば陽子崩壊実験の国際的競演というわけですが、では、向こうが7000トンならこっちも容量を増やそうかというわけには、残念ながらいきません。その時のカミオカンデは、場所的に3000トンが限界でした。

規模が違うのだから、同じ戦い方をしてもかないません。子供が大人と普通に喧嘩したら、負けるに決まっている。熟慮の末、ぼくたちが採った戦略は「さらに微弱なチェレンコフ光の信号を正確に捕まえられるようにすること」でした。

そこで、水の容量はそのままに、光電子増倍管の精度をより高める手段を摸索したわけです。当時、世界最大の光電子増倍管は直径20センチのものでした。IMBでも直径12.5センチの光電子増倍管を使用していました。

だったらカミオカンデでは、光電子増倍管の直径を
50センチにして、IMBの7000トンの容量に対抗しようと、考えたのです。ぼくは、「鵯(ひよどり)越えの逆(さか)落としで行こう」とみんなに言いました。

それはまさに源義経が一ノ谷の合戦で「鹿が下りているのに、同じ四つ足の馬が下りれぬはずがない」と、断崖絶壁を駆け下り、平家に勝利したのと同じように、相手の裏をかく戦法をとろうと思ったのです

そうして、今では光電子増倍管の世界シェア6割を誇る浜松ホトニクス(当時は浜松テレビ)に依頼しに行ったわけです。あとで聞いた話ですが、12.5センチの直径を50センチにまで大きくするというのは、決して出来ないことはないけれど、技術的にものすごく大変なことなのだそうです。




       
       オレは1日分、兄貴なんだ



大きさもケタ違いだから機械で造るわけにはいかず、ひとつひとつガラス職人が慎重に手作りしなければいけない。材質から設計、製造設備に至るまで、すべてを一から練り直さなければいけない。

大きさに加えて水の中で稼働するわけだから水圧に耐えられる巨人さも必要です。だから当然ガラスの材質は高コストになる。また、曲線が異なる部分でのガラスの厚さは決まっていて、誤差は数ミリしか許されないといった難しい仕事です。とすると、とびきり優秀なガラス職人を雇わなくてはならない。

そういった理由が大きかったかどうかは分かりませんが、晝馬(ひるま)社長はなかなか首を縦に振ってくれません。うちの研究室からも開発に応援を出しますからと口説いても、どうしても「うん」と言ってくれなかった。

結局ぼくの研究室で、3時間くらいすったもんだしたんですね。でも図々しくもぼくは、3時間もすったもんだするということは、まったく可能性がないわけではない、駄目なら30分で決裂しているはずだと、冷静に考えていました。

晝馬社長も、実は迷っていたんだと思います。浜松ホトニクスは「未知未踏のところを追え」というフロンティアスピリットを社訓に掲げているような会社ですし、社長自身もぼくらの計画自体には大いに興味を示していた様子だったからです。

技術的なことを全て語り尽くしたぼくは、最後の手段に出ました。「おまえさん、生まれは1926年の9月20日だってね。同い年だ。でも、誕生日はオレの方が1日早いじゃないか。オレの方が1日兄貴なんだ。この国では年長者の言うことは素直に聞くもんだよ」

晝馬社長とぼくとは誕生日が、偶然にもたった1日違いだったのです。ただ、それまでの技術中心の話と比べれば、屁理屈にもなっていない理屈です。

どういう反応をするかと思っていたら、今の言葉が利いたのかどうか分かりませんが、「ひとつ、思い切ってやってみることにしようや」と、ついに晝馬社長が決心してくれました。





          
        もってけ、ドロボー!


1年後、光電子増倍管の試作品が、出来上がってきました。試行錯誤の結果、直径50センチの光電子増倍管なら量産が可能だということで、こちらも了承したのです。この試作品は、直径50センチでもケタ外れの観測能力を備えていて、計算上はIMBに十分に対抗できることがわかっていたからです。

試作品の光電子増倍管ですら、晝馬社長の会心の笑みが浮かんでくるような素晴らしい出来栄えでした。おそらく完成品ならば、電子を千倍以上に強め、たとえば月面上にある懐中電灯の光までとらえるほどの高性能になることが予想できました。さすがは世界に名だたる浜松ホトニクスの技術力です。

ただ、これが、
1個30万円。出来栄えからすれば決して高い値段ではなかったのですが、なにしろぼくらは国民の税金を使わせてもらって実験するわけだから、どんなにこちらが無理を言って頼んだこととはいえ、メーカーの言い値に首肯(しゅこう)することはできません。これは、常日頃から学生に言い続けてきている、ぼくのポリシーでもあるんです。

だから値切りに値切りました。「うちの優秀な部下二人を助っ人に送り込んだんだから、開発費は相殺して欲しい。それで原価計算をしてみたんだが、ひとつ12万くらいで上がるはずだ。申し訳ないが、それでなんとかしてほしい」

晝馬社長は真ん丸の目をぎょっとさせ、絶句してしまいました。結局、1個につき
13万円くらい払ったと記憶しています。なんでもその時、晝馬社長は心の中で「もってけ、ドロボー!」と叫んだそうですが。

その後しばらく、「小柴先生のおかげで、ウチは
3億の赤字を出した」と、晝馬社長は人に会うたびにボヤいていたそうです。でもその少し後、カミオカンデがニュートリノを捕まえてからはぜんぜん文句を言わなくなった。

余談ですが、ぼくのノーベル賞受賞が決まったとき、晝馬社長はお祝いに来てくれました。「開発で赤字は出したけれど宣伝費として考えれば、ずいぶんと稼がせてもらった」なんて笑ってましたね。

とにかく、晝馬社長の気っ風の良さと浜松ホトニクスの頑張りによって、直径50センチの光電子増倍管が出来上がった。これで実験感度は
IMBの16倍になったわけです。





    
          全てはぼくの貧乏性から


カミオカンデの3000トンの水は、恐らく世界一綺麗な水だったと思います。もともと綺麗な地下水を徹底的に濾過し、とことん綺麗にする努力を繰り返しました。そうして作られた水は、純水といって、イオン成分までも除かれてしまっています。だから、飲む分にはあまりおいしくないし、身体にも良くないそうです。でも、実験には最適なのです。また他の手段と比べて、費用もあまりかかりません。


こうした、実験を支えてくれた多くの方々による諸々の努力は、実は、ぼくの貧乏性に起因していることなのです。浜松ホトニクスに開発を依頼した光電子増倍管のところでも触れましたが、ぼくたちの研究、実験には国民の税金が使われています。

2億、3億というお金を使って、目に見える利益を産業にもたらすわけでもない実験をやっている。ロマンはあるし、哲学的でもありますが、実際のところは百年先にだって、商売としては役立つかどうかわかりません。

陽子の崩壊を探すという実験は、もし当たればノーベル賞級の成果には違いないけれど、見つかるという確証はまるでない。いわば宝くじみたいなものです。そこに、国民の税金を使うということが、どうにもぼくの気持ちを重くしていたんです。物のない時代に育ち、一円たりとも無駄にできないという暮らしを若いときにしたせいかもしれません。

そこで、人様のお金を使わせていただく以上、陽子崩壊だけでなく、もう少し実験の可能性を広げ、得られる成果の確率を少しでも高めようとは、いつも考えていました。たとえは悪いかもしれませんが、別の種類の確率の高い宝くじを何枚か買っておく心境によく似ています。

それで、カミオカンデを造るための概算要求の付属文書を出すとき、当初の目的以外にも、別に2,3行、付け加えておくことにしたのです。そこにはこう書きました。

「カミオカンデの実験は、陽子崩壊の探索だけでなく、もし銀河系内で
超新星の爆発があった場合、そのときに放出されたニュートリノを200〜300個捕まえられるはずです」と。

まさか、その追加の2,3行の方こそが、現実のものになるとは、もちろん夢にも思わなかったんですけどね。


1983年7月 

カミオカンデに純水を入れて観測開始


1984年1月 

アメリカユタ州のパークシティーで「重粒子非保存国際学会」が開かれる。
そこで太陽ニュートリノ観測のプレゼンテーションを行った際に、ペンシルバニア大のマン教授から、本格的な太陽ニュートリノの観測装置を考えてみないかという提案を受ける。



1987年2月

 「超新星が爆発した」というンニュースが研究室に届く。カミオカンデで11個のニュートリノを捕らえる。超新星爆発の正体は、銀河系に隣接する大マゼラン星雲の中のある星による、今から17万年前のものだった。超新星爆発で発生したニュートリノを、カミオカンデが世界で初めて検出、確認したことが確定した。

                  







               
日本人よ、胸を張れ!


最後の論文を仕上げ、ぼくは1987年3月31日、東大を退官しました。退官後は、東海大学に9年ほどお世話になり、その間、西ドイツにのハンブルグ大学に招かれ、セルンで研究をさせてもらい、さらにアメリカへも2年と、海外滞在が続きました。

カミオカンデでは、思いがけない超新星ニュートリノの観測の翌年の88年、本来の目的であった太陽ニュートリノの観測にも成功しました。これは同年に論文を発表できました。


   ※ 塾長注        太陽ニュートリノ観測

太陽はなぜ燃えているかというと、自分の質量をエネルギーに変えているからなのです。
太陽の中では、
4つの水素ヘリウムがつくられます。水素ひとつの原子核は陽子1個なので、水素4個では陽子が4個になります。

ヘリウムは陽子2個と中性子2個なので、水素の陽子4個のうち、2個を中性子に変えなければなりません。電荷がプラス1の陽子が2つ、電荷ゼロの中性子になるので、ここで
陽電子(電荷がプラス1の電子)が2つ発生します。

その時に反粒子が必ず粒子と対生成するので、陽電子とペアの
電子ニュートリノも2つ発生します。この核融合反応(4つの水素がくっついてヘリウムになる反応)が行われると質量が軽くなります。質量を「結合エネルギー」に変えてはき出すために、くっついた方が軽くなるのです。この現象を「質量欠損」と言います。

太陽の場合、その質量欠損は、なんと
1秒間に50億キログラムになります。その減らし続けている質量をエネルギーに変えて、私たちの地球に降り注いでくれているのです。その太陽
の中で陽電子と対生成し、地球に向かったニュートリノを最初に捕まえたのがスーパーカミオカンデです。



     

                                
                              陽電子
                 ヘリウム           
                                   
                              電子ニュートリノ

    水素の陽子
                                    


                               super kamiokande
                                 








 ニュートリノ振動について


スーパーカミオカンデでの観測が始まった当初から、ニュートリノにはある不可解な問題があることが指摘されていました。太陽から届くはずの電子ニュートリノが、予想される量の3割から5割程度しか見えないのです。これは素粒子標準模型に基づいた計算と矛盾し、太陽ニュートリノ問題と呼ばれました。

そこで、地球に届くまでに電子ニュートリノが他の世代のニュートリノ
(ミューニュートリノ・タウニュートリノ)に変化するニュートリノ振動という現象が検討され始め、その後の実験によって、この現象が実際に起こっていることが確認されました。

ニュートリノ振動が起こるにはニュートリノに質量が必要ですが、標準模型においてはニュートリノの質量が
ゼロとされています。したがって、ニュートリノ振動が起こっているという事実が、標準模型の欠陥・限界を表していると考えられています。



               
                      科学未来館・林田さん作成


                     
続きです。


スーパーカミオカンデは、ぼくが東大を退官したあと、戸塚君たちの甚大な努力によって完成に至ったのです。高さ、41.4m、直径39.3m。水量は5万トン。なんとカミオカンデの
17倍のスケールです。これで観測感度は飛躍的に高まったわけです。

スーパーカミオカンデ設立に関しては、当然の事ながら、ぼくは影ながらの応援しかできなかった。いわば資金調達役でした。

カミオカンデの建設費は、約3億5千万円。スーパーカミオカンデは建設予算もケタ違いで、
約100億円が必要でした。かカミオカンデの素晴らしい実績はあるものの、100億円もの大金を要求するのは、やっぱり多少気が重かった。すべて国民の税金ですからね。

そこでぼくは一計を案じました。世界のノーベル物理学賞受賞者に連絡して、スーパーカミオカンデの素晴らしさを力説しました。そして当時の東大総長・
有馬朗人(あきと)先生あてに、「素晴らしい計画だ。世界の物理学者がスーパーカミオカンデに期待を寄せている。是非とも実行するべきだ」といったメッセージを送るように頼んだんです。


強力な援軍に期待したわけですね。すると有馬総長の元に、六通もの手紙が届いたそうです。そして1996年、カミオカンデの150m隣にスーパーカミオカンデが完成しました。1998年には、戸塚君の指揮の下で
ニュートリノに質量があることが確認されました。これは「標準理論」に理論上の変更を迫る、大発見だといえます。









                
物理屋になりたかったんだよ


今回のノーベル賞に関してもそうですが、賞というのは、実績を出してからある程度の時間が経ってから与えられるものなんです。それでも、
17万年かけてカミオカンデに飛び込んできた超新星ニュートリノの長旅のことを思えば、10年や20年はたいした時間じゃない。

1996年にヨーロッパ物理学会特別賞、翌97年には文化勲章をいただきました。さらに2000年にはイスラエルのウルフ賞、そしてノーベル賞の少し前に米国物理学会パノフスキー賞を頂戴したんです。

どの賞を頂いたときにも素晴らしい感慨がありましたが、中でも文化勲章をいただいたときの思い出は、特に印象に残っています。

ぼくの受賞が発表されるとすぐ、お祝いのファックスが届いたんです。
                           
南部陽一郎先生からでした。ぼくが大学院に入った当初、大阪市立大へ武者修行に出かけたときのあの先生です。
             
ファックスには、仰向けになったチンパンジーと開いた研究書のイラストが書かれていて、チンパンジーが
「物理屋になりたかったんだよ」と言っている ー そんなファックスでした。
                  
このチンパンジーこそ、まさにあの頃のぼくの姿で、苦手な物理理論をなんとかものにしてやろうと必死でもがいていた当時の思い出が、ぐるぐると蘇ってきて胸が熱くなりました。

先生は、そんな若い時のぼくの気持ちをずっと覚えていてくれて、わざわざ手描きのイラストを贈ってくれたのです。このファックスを、ぼくは何時間も何時間も眺めていました






 
            日本の煌々(こうこう)たる未来



2002年4月、1993年に全ての役割を終えていたカミオカンデの跡地に、
カムランド(東北大、スタンフォード大などの国際チーム)という新しい観測設備が完成しました。

ここでも素晴らしい観測結果が生まれました。ぼくがノーベル賞の授賞式出席のためストックホルムへ向かう前日、鈴木厚人くんが指揮を取るカムランドが、今度は
反電子ニュートリノに質量があることを突き止めたのです。

カムランドでは、日本人の研究者よりアメリカ人の研究者の方が数が多いんです。アメリカ人研究者が50数人、日本人は30数人。スーパーカミオカンデではアメリカ人が80数人で、日本人が100人くらいかな。

とにかくものすごい数のアメリカ人研究者が日本の岐阜県神岡町に集まって来ているんです。まさに、神岡は世界の
ニュートリノ研究のメッカなんです。これは日本人として、とても気分の良いことですよ。







                
若い人たちへのメッセージ



基礎科学
の研究、実験というのは、本気でやってみると、とても面白いものです。これは物理学だけでなくぼくたちを取り囲んでいる自然というものは、ぼくらの頭では思いも付かないような「事実」を持っているものなのです。

これは自然が意図的に隠しているわけではなく、ぼくらが発見できないだけのことが多いんですね。あるいは見ているのに、悪い先入観で、重要な事実とは気づかないでいることだってあるかもしれない。

その事実をきちんと見極めるためには、本気になって目を見開かないといけません。ぼくが若い人たちに言いたいことはどんな分野の仕事をやっていようとも、どうぞ自分のやっていることを、まず
本気になって見つめてください、ということです。

そして繰り返しになりますが、いつか達成したいと思っている
「卵」を多く持っていてください。その卵のことをいつでも本気で考えていれば、きっとなんとかなると思いますよ。









                      
最後にひと言。


1987年の2月、水を綺麗にしたばかりのカミオカンデに超新星ニュートリノが飛び込んできた。ぼくの東大退官の1ヶ月前のことだった。この計ったようなタイミングを、ぼくもみなさんも「幸運」と言っているんだけど、ぼくが本当に幸運だと思ったのは、素晴らしい人たちに巡り会えたことなんです。

この素晴らしい人たちとの出会いが、ぼくを支えてくれたんだと思っています。賞のありがたみよりも、
人々との触れ合いの方が、ぼくにはずっと「幸運」だったと思うんですよ。
    
だから読者の皆さんも、自分の「卵」を大事にすると同時に、多くの人との触れあいを、どうぞ大切にしてください。